真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

わかりやすくQ&A仏教って何だろう?【3:中道とは、なにか?】

Q1修行の果てにお釈迦さまは・・・・・・?
 お釈迦さまの教えは、多くの経典(お経)に説かれています。でも、お釈迦さまが自分で著したお経は何ひとつありません。お釈迦さまの教えは、お釈迦さまがお亡くなりになられた後に、多くの弟子たちに語りつがれ、それが文字となってお経に書き残され、伝えられたのです。
 さて、お釈迦さまは、長い瞑想によって悟りを聞かれた後に、体得した境地をこのまま味わいたのしむか、すばらしい境地を誰かに伝えようか迷い、ついに教えを説こうと決意するのです。そして、かつての修行仲間だった五人の比丘(出家修行者)の元へ向かいます。五人の比丘は、お釈迦さまのお姿を目にした時、一緒に修行をした頃のお釈迦さまのお姿、雰囲気との違いに驚きました。そして、お釈迦さまが体得した真理(法=ダルマ)を語る言葉に、いつの間にか耳を傾けました。
Q2ひとつの極端にかたよらない生き方
 お釈迦さまの昔の修行仲間だった五人の比丘は、かつて、お釈迦さまが苦行を途中で止めた時に、お釈迦さまを落伍者とか臆病者と軽蔑の気持ちを抱きました。そのお釈迦さまが、悟りを開かれたブッダ(仏陀)となって、いま、自分の目の前に現われ、修行を完成して悟りの境地を説こうとしている・・・・・・、その教えを耳にするうち、一人、また一人と、比丘たちは悟りを開いていったのでした。
 さて、それでは、そんなお釈迦さまの教えとはいかなるものだったのか・・・・・・? まず、お釈迦さまは「極端にかたよらずに生きてゆく姿勢が何より大切だ」と教えを説くのです。これは苦行を続ける比丘たちの心を射抜きました。心地よい生活ばかりに溺れて欲張りすぎて、自分を見失ってはいけない。そして、あれもこれも止めて、その欲望をすべて捨て去って、自分をキリキリと追いつめてもいけない。ひとつの極端な生き方に固執して、人間としてのバランスを欠いてはいけないと説いたのです。
Q3快楽も禁欲も乗りこえた先・・・・
 このように、快楽でもなく禁欲でもない、ひとつの極端にかたよらないという教えを「中道(ちゅうどう)」といいます。快楽の道と禁欲の道・・・・・・。私たち人間は、時にどうしても突きつめて物事を見たり、考えたりしてしまいます。
 心地良い暮らしに慣れ親しむと、次から次へと欲が生まれ、深まってゆく。それじゃあいけないと思い立って、今度は何でもかんでも欲を減らそう、自分を律して、あれもこれも思いつくものはすべて抑えて、ストイックに自分を追い込んでゆく。いまのグルメ・ブームと健康ブームは、まさにそうした象徴のようにも見えてきます。
 お釈迦さまの教えは、快楽をむさぼるだけでもダメ。禁欲して自分を追い詰めるだけでもダメ。快楽と禁欲、この両極端を乗り越えてバランス良く、生きてゆかなければ、人間が本来、求める真理を見る目が養われないと語るのです。

わかりやすくQ&A一覧