真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.35

 亡き人の魂を供養する季節となりました。お盆には、皆さんのお家に精霊棚(しょうりょうだな)を飾って、ご先祖さまや亡くなられた精霊、魂をお迎えして1年に1度のおもてなしをします。13日には、お墓から亡き魂を提灯に火を灯してお家へ運び、16日にはお墓へ送ります。こうした日本の昔からの風景が外国の方にはどう映るのでしょう。目に見えない、手に触れられないものを大切にあつかう心持ち。そうした風景に、日本人の感性が豊かだと感じることもあるのでしょうか? 西行法師は念願かなって伊勢神宮にお参りした時、「何事のおはしますをば知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」と詠んだそうです。
 目に見えない、手に触れられないものへの畏敬や感謝の念を抱ける感性は、自分の至らなさを実感し、他への敬愛や尊重の想いがあればこそでしょう。自分を活かしてくれている周りへの感謝、これを忘れなければ、世の中の悲しい事件はもっともっと少なくなるような気がします。
 価値観は多様化したと世間では言います。この情報化社会がそれをもたらしたと言うわけです。しかし、情報があふれたこの社会は、本当に価値観を多様化させたのでしょうか? むしろ、私たちは情報の多さに飲み込まれて、見栄えの良さや便利で快適なものに心を奪われ、自分にとって本当に大切なものを見失ってしまったのでありませんか? ちょっと見た感じは、善く見える情報にだまされてしまう。自分の内にうずまいている欲望や執着を呼び起こす情報に、あなたの目は奪われていませんか。
 物事には良い面と悪い面が必ずあります。メリットとデメリット。目に見えるもの、手に触れられるものへの執着は、いまも大きくふくらみ続けています。見えるし触れられる、それだけで私たちはホッとします。しかし、それは泡のように実体のない価値観だという本質を見抜く感覚、直観が、いまの私たちに最も必要なものではないでしょうか。
 感性を鋭くするには、どうすればいいのでしょう。情報化社会は取捨選択する暇も与えず、私たちの感性や判断をどんどん鈍らせてゆきます。あれもこれもと目まぐるしく移りかわる情報に、私たちは目移りするだけで、良いものを味わったり、自分にとって必要なものかどうか判断する時間をも奪われてゆきます。
 情報化社会なのに、情報の波におぼれて自分を見失いつつある現代人。だから、目に見えないもの、手に触れられないものを感じる心を養うことが大切なのだと思います。亡き魂を感じて、大切に向き合おうとする感性は、あなたの中に眠る能力や可能性をきっと育んでゆくはずです。いつ、どこにいてもご先祖さまに感謝し、仏さまに祈る。くり返し手を合わせて祈れば、必ず心は養われます。供養の心はご先祖さまに向けられ、仏さまに届く。そして、それがあなたの心、感性をもっともっと豊かに育みます。

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