真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.33

 自分のことをあなたはどれくらいわかっているでしょう? そして、あなたの大切な人をどれくらい見ていますか。自分がしてきたこと。相手がしてくれたこと。あなたは時に「自分がやってきたことをわかってくれない。」と思うことはありませんか? 逆に、相手がなかなかできないことが目についたり、苦手なことがあるとすかさず注意したり………相手には厳しくて、自分にはあまいところはありませんか? もちろん、相手がうまくいかない時に助言することは必要なことでしょう。しかったり、激励することも大事でしょう。
 でも、言うタイミングや、相手がその言葉を素直に受けいれられる言い方を考えないと、せっかくの良いアドバイスも、相手からすれば「いつもうるさいなあ」とか「これからやろうと思っていたのに……」と反発心を生んで、心をかたくなにしてしまうことにもなります。
 相手のことを理解するのは、確かにむずかしいことです。世代が違えば考え方や常識も異なります。これだけ社会情勢や生活スタイルがアッという間に移り変わる時代には、自分の身の周りの変化を知ってゆくことも大変ですよね。自分の大切な人が、今、どんなことに興味があるのか、何を望んでいるのか、ちょっと話さないとわからなくなってしまいます。でも、だからと言って、お互いの理解が得られないままだったら、たとえ家族でも、恋人どおしでも、勝手な思い込みが深まって、それが誤解を生み、距離が広がっていくことにつながります。
 相手がこうあって欲しいとか、相手に求める気持ちをちょっと休めて、見方や考え方を変えてみませんか。仏教では、こうした相手への自分の思い入れを執着と言います。思いどおりにならないことが苦。その苦を引き起こす原因が執着です。自分は相手にこうあって欲しい。でも、相手は自分の進みたい道を進もうとする。あなたの執着があなた自身の苦しみを生み、それが強いと相手にも苦をもたらします。
​​​​​​ 相手を見守ることから始めてみませんか? 相手が、いま何を感じているのか? 相手を理解するために見つめてみる。それが、相手とのギャップを埋める第一歩。その次には、相手の良いところを探して、それを相手に伝える。相手のかたくなな心を柔らかくすること。「自分のことは誰もわかってくれない」そう思い込んでいる相手の心を開かせるには、相手の心を解きほぐす温かい言葉をかける。それが何よりではないでしょうか。
 この人は自分をわかってくれている。そう思えるなら、自然と会話がはずみます。心を許せるなら反目しあう理由は何もありません。「何もわかってくれない」って思っているうちは、時に、売り言葉に買い言葉から、互いの心はどんどん硬くなり、閉ざされてしまいます。まずは、相手の心をほぐすために何かやってみましょう。相手を見つめる、良いところを見つける、言葉をかけて相手を認める。そうすれば、きっとコミュニケーションが取れるようになる。自分の執着、思い込みを取り去って見つめてみましょう。かけがえのない人のことを、あなたの大切な人のためにも。

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