真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.26

 スピリチュアルという言葉を時に耳にしますね。TVや雑誌などでよく取り上げられて、ひょっとするとブームなのかもしれません。このスピリチュアルという言葉は、日本語にするとどんな意味がいちばん当てはまるのでしょうか?霊性とか、精神とか、魂とか、宗教的?なかなかしっくりする言葉が見当たりません。霊という言葉は、何かオカルト的というか、うさんくさい感じがしますね。“タタリ”があるみたいな、お化けの世界を想像してしまう気がします。
 でも、よくよく考えてみるとこの言葉は、私たち人間にとって、いちばん大切なものを言い当てている気がしないでもありません。なぜかと言うと、自分らしさとか、家族の絆とか、民族の持つ精神性(特徴)とかいうものは、人が自分らしく生きてゆく時には、最も大切にしなければならないのではないでしょうか?日本人は昔から、そうした人間の精神的な部分をずっとずっと大切に育んできた民族かもしれません。
 自分らしく生きることを誰もが望みます。自分がこの世に存在する価値を自身で実感したい。その時には、スピリチュアルということが問われるのだと思いませんか? 「世界に一つだけの花」という歌がヒットしたのは、この「らしさ」を求める多くの老若男女が共感したからでしょう。そして、自分らしさがどうやって育まれるかと言えば、それは、その人が育つ家庭、家族の環境が大きいのでしょう。青少年の非行犯罪が増えた、家族間の殺傷事件が多くなったというニュースは、家庭環境とか家族のコミュニケーションが薄まったからなのかもしれません。では、なぜ、薄まったのか? 以前と何が違うのか?
 きっと、ひとつには「家の宗教」がしっかり伝わらなくなったことが根っこにあるのではないでしょうか? お仏壇に手を合わせる、お墓をお参りする、お盆やお彼岸にはご先祖さまの魂(霊)に触れる。そうした家庭における仏事が、子どもたちに受け継がれないから・・・・そんな感じがします。
 家の宗教なんていまさら・・・・そんなふうに素直に思う人も多いはずです。でも、人と人とが心を通わす時、やさしさや思いやる心を感じる時、そんな感覚は、私たちが目に見えない何かに心が動かされているわけですよね。それがスピリチュアルということなのではないでしょうか? ホッとした気持ちになる時は、そうした目に見えないものを信じられる心がある、それを実感できる時ではないでしょうか? いま、いのちある私たちには魂があります。それなら、いまはいのち亡きご先祖さまの魂も感じられる。なぜかと言えば、自分が育まれたルーツ、原点をそこに感じるからでしょう。個人主義を、自由で気ままなものと誤解した日本人は、もう一度、家族の大切さ、魂の存在の意味、それによって心が豊かで安らぐ感覚を、見直してみたらいいかもしれません。

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