真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.22

 カミやホトケがいるって、あなたは信じられますか? この世とあの世があると思いますか? 普通に考えれば「そんなものないよ」と思うかもしれません。こんなに科学が進歩して、モノが豊かになった時代に、見たこともないものを信じられるなんて、実際にはなかなかできません。それでも、この現代でも、神社やお寺には多くの人が訪れて、悲しいことや苦しいことから救われたいと願い、大切な人を亡くせば、その冥福を祈ります。
 いまの科学や医療では、人の心は救えない、癒されることはないと、きっと、誰もがわかっているのです。科学の力によってモノが豊かになっても、医療によって病気が治っても、心を満たすものは別のところにある。その別の場所、空間に、先人たちは仏の世界とかあの世を創造してきたのだと思うのです。目に見えないけれど、自分に生きる力を与えてくれる何かがある、支えとなってくれるモノがある。それが、これまではカミやホトケの存在だったのでしょう。
 「心をケアする」という言葉をカウンセリングや心理学で使いますが、私たち日本人は、カミやホトケを信じ、祈ることで心をケアし、支えてきました。目に見えないものが「ある」と信じられる。そんな豊かでたくましい想像力が、普段の暮らしの中に当たり前のように息づいていたのです。そして、そんな、みずみずしい感性によってつちかわれてきた私たちの心が、いま、失われつつあるのではないでしょうか? 時間に追われ、あふれる情報に飲み込まれ、自分の心、相手の心をじっと見つめることを忘れてしまっている。時間に追われ、何でも略してしまう。便利なものに頼って、楽に楽に生きようとする。目に見えるものばかりにとらわれて、目に見えないものを粗末にしてしまう。だから、心は疲れてしまう。癒されなくなってしまうのです。だって、「こころ」って目に見えないものでしょう? 目に見えないものの最たるもの、それが心なのですから・・・・・・。
 目に見えないものをかたちにする。そんな営みが皆さんの身近なところにもあるのです。それは、お仏壇や神棚。お盆、お彼岸、仏事(ぶつじ)と言われる法事や、お通夜・お葬式、それに年中行事などです。こうした形式的な儀礼や習慣は、日本人が目に見えないものをかたちにし、心をなぐさめたり勇気づけたりするのに最も効果的なものと実感して、つちかってきたものです。四季折々にある日本の年中行事も、日本人の心をそのままに表わしたものと言えるのでしょう。豊かな感情表現であり、心から自然とあふれる喜怒哀楽の想いをそうした行事にたくして、お互いを励まし合ってきたのです。亡くなったご先祖さまに、いのちがあることを感謝する。神や仏にすがって苦しみや悲しみを乗り越える。そう、だから、もっともっと、目に見えないものに目をこらして、耳を澄ませてみませんか?

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