真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.21

 心と身体のバランスが、あなたには取れていますか? 頭が痛い、肩や腰が重い、胃が痛い、身体のあちこちがだるい。現代人は、誰もがそんな身体の痛みを抱えています。でも、お医者さんに診てもらうと、医学的にははっきりと病気とは言えない。そんな何かわからない痛みに、多くの人がしんどい思いをします。きっとそれは、心が危険信号のシグナルを送っているのかも知れません。さまざまな人間関係のきしみ、生活習慣などは、私たちの身体と心に、もともとなじまないものなのでしょう。それが時間をかけて、いつか痛みになる気がします。身体のどこもかしこも、心につながっています。心が何かを感じれば、それは必ずかたちとなって身体に現れます。肌の色つや、顔の表情、立ち居振る舞いにまで影響します。健康食品や補助栄養剤などをわざわざ口にしたり、お肌に塗るよりも、心が弾んで、活き活きと、みずみずしくうるおっていれば、それが自然と表面に現われるはずです。
 心と身体は1つのものです。そんなことは誰でも分かっていることですよね。でも、分かっちゃいるけど私たちは普段から、心と身体が密接につながり合っている、1つだと感じて暮らしてはいません。ある太極拳の先生は「現代人の肩の骨は、もとの位置から前にずれている。本来は5センチ以上、後ろにある。」とおっしゃっていました。そんな骨のズレが、筋肉やスジに負担となって四十肩、五十肩の現象を引き起こすのかも知れません。テレビやパソコンや携帯ゲームによって、視野が狭く、何かに執着しすぎる生活習慣が、身体の姿勢を前かがみにさせているのでしょう。視野が広くて、ゆったりした心持ちで暮らせる社会とは程遠い場所に、現在の日本の社会はある。だから、いまの私たちが暮らす世の中は、さまざまな根深い問題を抱えしまったとも言えます。こうした社会を創り出した結末が、自分自身をむしばむこととなり、それが心をしめつけ、痛みとなり、身体のあちこちに現われていると思うのです。
 人間には三つの毒があると仏教は説きます。仏教は人間の煩悩を大きく三つに分けます。一つにはむさぼり、二つには怒り、三つにはおろかさです。むさぼりは欲望のことで、この欲望の背後に渇愛があると、仏教では説きます。こうした煩悩は、際限なく心地良いこと、便利で快適な生活を求めて止みません。それを追求した挙句に、私たちはこうした社会を創り出し、この社会に恐れおののき、身体も心も痛みに苦しまなければなりません。物事の真理に気づくことなく、欲望をくり返しむさぼることを無明といいます。おろかな人間は、心に怒りやうらみばかりを積み重ね、それを身体にためこんで、煩わしく悩ましい想いにまみれるのです。そんな私たちに、仏教聖典はこんなふうに教えを説きます。「行く水の清らかなるは楽しい。智慧を得て明らかなるは楽しい。うらみを抱く人々の中に、楽しくうらみなく住まんかな。むさぼり深き人々の中に、むさぼり心なく、心楽しく住まんかな・・・・・・」

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