真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

山頭火

 

 種田山頭火は、行乞(ぎょうこつ)の俳人と呼ばれ、かたちにとらわれない自由句という俳句の新しい分野を切り開いたひとりです。先の三つの句は、山頭火の句のうちから春にちなんだものをあげてみました。何度かくり返し読んでいると、情景があざやかに浮かんできます。他にも春をよんだ句に、こういう切ないものもあります。

    この道しかない春の雪ふる
    たんぽぽちるやしきりにおもう母の死のこと
 
 酒におぼれ、世間から冷たくされ、家族と離れ、家を捨てて、物を乞(こ)いながらあてもなく旅を続け、仮の住まいに身をおきながら句を詠(よ)む暮らし。自然の中に身をゆだねて、孤独と向き合いながら、何とか生きながらえてゆく日々。山頭火にとって句を詠むことは、生きる証しであり、自分の存在を探<すことに他ならなかったのでしょう。

    まっすぐな道でさみしい
    ひとりにはなりきれない空を見上げる
    濁れる水の流れつつ澄む
 
 にぎわいと静寂、疑うことと信じること。手に触れられるものと心に感じること。まっすぐにさしぐむ陽の光は、時に目がくらむほどまぶしく、時に和むほどにあたたかく、人の心のありようで違って感じられます。でも、どんなによごれてにごったとしても、風の中や水の中で、流れにさらされていれば、いつか、誰の心も澄んだものとなるはずです。

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