真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

芥川龍之介


  芥川龍之介は35年の短い生涯を自らの手で終わらせました。その生涯に遺(の)こされた作品の数々は、私たちを時に励まし、勇気を与え、自らの生きざまを振り返らせてくれました。誰もが知っている『羅生門』や『蜘蛛の糸』、『鼻』『芋粥』『杜子春(とししゅん)』『南京の基督(キリスト)』など、彼の作品を読まなくても映画化されたものを鑑賞された方も多いのではないでしょうか。黒澤明監督、三船敏郎主演の『羅生門』は芥川の作品を題材に脚本が描かれたのは有名ですし、『南京の基督』は中国との合作で上映されました。
 はじめの芥川龍之介の言葉は、彼のニヒリズム【虚無主義】を象徴する言葉とも受け止められます。ニヒリズムは時に、仏教の「空(くう)の思想」と関連して論じられることがありますが、そんなことはさて置き、この言葉に触れた時、お釈迦さまの「諸行無常一切皆苦(しょぎょうむじょういっさいかいく)」の教えが思い浮かびました。「すべての物事は常には無く移ろいゆく、だからすべては苦に満ちている。」と世間を見通したお釈迦さまの教えは、いまこの時代でも、ゆらぐことのない真理を伝えているわけです。
 そして、恐らく、こうしたお釈迦さまの教え、仏教の物事を見通すまなざしに、芥川龍之介も少なからず影響を受けていたと思われます。『地獄変』『蜘蛛の糸』などの作品には、そうした作家のものの見方、考え方が、登場人物を通じて鮮やかに描かれています。『蜘蛛の糸』の最後にはこんなくだりがあります。
「後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の途中に、短く垂れているばかりでございます。」
 蜘蛛の糸が、キラキラ光るさまに慈悲を見つけるか? 空の途中に短く垂れているさまに絶望を想うか? 作者は何を言いたかったのでしょう。そして、読み手のわれわれは、何と感じましょうか?

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