真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

良寛

 

 「霞み立つながき春日を子供らと、手鞠つきつつこの日くらしつ」の歌のとおり、詩歌を詠み、書をたしなみ、清貧(せいひん)に甘んじて悠々自適の生涯を送ったのが良寛と言われています。しかし、良寛の詠んだ歌には、彼がたどった道のりが、決して平たんではなかったことをうかがわせます。
 私たちは、いつも、自分の行動も、他人の行いまでも、常識という物差しにあてがって、推し量ろうとします。よくよく吟味することもなく、すぐに善悪の判断を下してしまって、物事にレッテルを貼って品定めします。でも、ちょっと待ってください。そんなにすぐに、ひょっとしたら、一方的かも知れない情報だけをうのみにしていいのでしょうか? それに、一度、決めつけたら意地を張ってなかなか評価を変えないこともよくありますよね。
 それがどんなに自分の生活をきゅうくつなものにしているか、はかり知れません。私たちは、すぐに思い違いをしたり、いつも、物事を見あやまるんだと言い聞かせていないと、取り返しのつかないことになったり、他人を傷つけることになるのです。「また違っちゃった・・・・・・」で済むとは限りません。
 「人間の是非は一夢の中」は、良寛が好んだ句ですが、おそらく良寛も「知らん」と言い切るまでには、歳月を「またまた」と積み重ねたことでしょう。

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