真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.56

 思いどおりになることと、思いどおりにならないこと。いつも私たちはこうした思いをくり返して一喜一憂し、喜怒哀楽の毎日を送っています。その一方、今の暮らしに喜怒哀楽が少ないとすれば、それは「こうしよう!」と思うことが余りないのかも知れません。思うとおりになる、ならない。やろうと思ってできる、できない。私たちはいつもその間を行ったり来たりしながら、時に「よし、やったあ!」 と充足感に満ち、時に「あーあ、ダメだった……」とガックリとうなだれ、しかし、それを糧に数多の経験を積み重ねながら、成長してゆくのでしょう。
 今、あなたに思うことや叶えたい夢や望みがありますか? 「そんなものを抱いても何の得にもならない。」って、何も思わなければ始めから可能性はゼロ。それは自分らしさを放棄することにもつながります。なかなか叶わない夢でも、希望でも、それを思っていればこそ、叶う可能性は限りないはずです。今は可能性が無きに等しくても、この坂道を登った先には、視界が開けて、その彼方には虹を目にすることがあるかも知れない。そうすれば、あなたの望みは叶う状況や環境へつながるかも知れません。

 目の前にあるものをしっかりと見つめていますか? これだけ多くの情報があふれる社会で、今の自分にいちばん大切なものを選ぶのはとても難しいでしょう。自分に何が必要かさえ、分からなくなるほど情報が次から次へと瞬く間に流れゆきます。そんな世の中だからこそ、踏みとどまり、自分に必要なものをしっかり見つめ、自分の想いを知ることが大切に思えるのです。
ただ、こんな情報化社会で時間に追われる暮らしをしていると、そんなことができるのだろうか? 誰もがそうした想いに苛まれます。しかし、それではあなたらしく生きる可能性を断ち切ってしまうことになりませんか? では、いったいどうすればいいのか? 何をすれば思いを強く持てるのか? それは……

 ひとつひとつ丁寧に尽くすこと。そこから始めてみたらどうでしょう? 1日にたった数分、いや5分でも10分でも何かを丁寧にしてみます。例えば家族の顔をみつめる。あいさつを普段より丁寧にする。窓から見える景色をいつもよりじっくり眺める。何でもいいでしょう。歩く時に少しゆっくり地に足を付けるイメージで歩く。忙しいからそんなことやる暇ない。そう思ったらまた何も変わりません。つまらないと思えても、ささいなことからやってみる。そして、そんなことを少しずつ増やしてみる。そうすればいつかはきっと、自分の願いや思いを抱けるようになってゆくはずです。
 たった数分でも変革を積み重ねれば、あなたは「いま」から変わってゆけます。姿勢を正して、眼を閉じて、呼吸を深くする。物思いにふけってみる。その積み重ねが自分を見つめることになるでしょう。真言宗には「如実知自心(にょじつちじしん)」という言葉があります。自分の心をありのままに知る。丁寧に自分と向き合う。それが何より大切です。
 

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