真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.62

 いま、生きる力があなたにありますか? あなたには生きがいがありますか? あなたの心は何を求め、望んでいるのでしょうか? あなたには支えとなるものはありますか? こうした疑問は、恐らく誰もがいつか自身に問いかけることでしょう。そして、人の心のことや支えとなるもの。こうしたことに応えてきたのが仏教です。人の心とは何か? 人はなぜ欲しがるのか? なぜ苦しむのか? そんな疑問に応えようとしたのが仏教を開かれたお釈迦さま。その教えが仏の教えです。
人は誰もが喜怒哀楽に心揺れます。喜びや楽しみばかりなら何も怖れるものはありません。怒ったり哀しんだりすることがなければ、それに越したことはないでしょう。でも喜びや楽しみは「あっ」という間に過ぎてしまいます。怒りや哀しみは自分の中でなかなかぬぐえません。そして、私たちが感じる苦は時に何の前触れもなく、長く、耐えがたい恐怖や痛みをともなってこの身に襲いかかってきます。
 苦を取り除くこと。それが仏教の根幹です。「諸行無常 一切皆苦」とは、お釈迦さまがこの世を見極めた教えです。「諸々の現象は常には無い だからすべてが苦しみである。」 生きることは苦である。いつも人はそのままでいて欲しい。変わらずにいて欲しいって強く思います。でも、ものみなすべて移ろいます。この世に変わらないものなんてない。だから人は思い通りにならない現実にいら立ち、切なくなり、怒りを抱きます。苦にまみれてもがくのです。
お釈迦さまはまず、人が生きることは苦そのものであると現実を真っ向から受け止めようとします。そして苦は何によって引き起こされるかを探求します。私たちの心が抱く苦の原因を見つめるのです。その原因は「こうあって欲しい」という煩悩や執着です。その煩悩や執着を取り除く教えが仏教です。
 心は何を望むのか? あなたの心は何を欲しますか? 目先のこと? 先々までブレずにいたい? 今が楽しければそれでいい? でも、やはり心は穏やかで、安らかに日々を暮らしたいですよね。それを目指すのが仏教です。安らかな心を求める……。では、安らかな心はどうすれば求められるか? 仏さまにそれを祈るのです。仏さまに無事を祈り、無事に感謝する。祈る心と感謝の念を仏さまと向き合い、拝み、祈ります。これを毎日くり返せば、いつかきっと安らかな心が求められます。
お仏壇の仏さまに毎日祈る。機会があれば菩提寺のご本尊さまを拝む。あなたが苦しみから救われるために仏さまは存在します。仏さまを一心込めて拝めば、煩悩や執着は薄まります。そして、あなたには生きる力が育まれます。安らかな心を求めると、あなたの内には生きる力が自然とあふれます。仏さまの境地、心は限りなく安らかです。その心持ちに少しでも近づくよう、いつも仏さまに祈るのです。
 

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