仏のことば
一、懺悔文(さんげのもん)
「懺悔」を仏教では「さんげ」と読みます。「ざんげ」というと、主にキリスト教における罪の告白を意味しますので「さんげ」と読むようにしましょう。

 さて仏教における懺悔はインドの古い時代からとても重視されてきました。懺悔は仏教を信じる者にとって自分を見つめる大切な行いです。
 お釈迦(しゃか)さま(釈尊(しゃくそん))の時代に教団が成立すると、集団生活をするために、さまざまな決まりが定められました。それを律(りつ)といいます。また仏教教団に入信する時には戒を授かります。戒については後に「十善戒」のところで詳しく述べますが、教団の決まり(律)や戒に違反することは悪い行いと見なされ、反省をしなければなりません。

 教団内部で修行僧が過ちを反省する場合には、一人あるいは四人の修行僧の前で罪過(ざいか)を告白する決まりがありました。釈尊が在世(ざいせ)の頃には釈尊の前で告白することも行われました。しかし釈尊が入滅(にゅうめつ)した後、また僧院(そういん)から遠く離れた場所にいて、告白すべき仲間の修行僧がいない場合には、修行僧は仏像などの前で仏に告白し、反省をすることもありました。このような懺悔は年中行事の中に組み込まれ、規律ある教団維持のためにも役立ちました。
 ところが大乗(だいじょう)仏教が展開する過程で、新たな懺悔の方法が組み込まれました。その特徴は大乗仏教の思想と深く関わります。

 一般に大乗仏教では釈尊だけでなく、多くの仏陀が存在すると考えられていました。それ以前の小乗(しょうじょう)仏教(声聞乗(しょうもんじょう))でも、そのような考えの萌芽(ほうが)が見られましたが、大乗仏教になると過去世(せ)・現世・未来世という三世にわたって多くの仏陀が登場するばかりでなく、現在も多くの場所に多くの仏陀が存在すると考えられるようになりました。この私たちが住む娑婆(しゃば)世界にはお釈迦さまが登場しましたが、他の世界には別の仏陀が登場して説法(せっぽう)をし、衆生を救っていると信じられるようになりました。
 とりわけ『華厳経(けごんきょう)』では、多くの仏陀が無限な世界に無数に存在すると考えられ、新たな思想を展開しました。その思想は真言宗にも深く関係し、弘法大師の思想にも『華厳経』の教えが組み込まれています。
 『華厳経』の思想に基づき建立された寺院といえば、奈良の東大寺が有名です。東大寺の大仏は毘盧舎那如来(びるしゃな にょらい)といいます。この大仏は大きな蓮台(れんだい)に坐(ざ)しています。その蓮台はいくつもの蓮弁(れんべん)(花びら)が重なっています。その蓮弁の一枚一枚には広大な仏陀の世界が数多く描かれています。そのような蓮弁が重なり合うことで、毘盧舎那如来の世界には無数の仏陀の世界が広がっていることを表しています。

 このように無数の仏を想定し、あらゆる方角にいる仏に対して罪過を告白するという儀式ができてきます。その際に反省する罪過は自分がこの世に生まれてきてからのものに限りません。無限の過去から輪廻(りんね)の世界を生き続けてきた中で犯したすべての罪過を反省し、罪過を犯してしまう自分を根本から清らかにしようとする祈りとして、大乗仏教の懺悔は意義づけられます。
 以上のことをふまえて、私たちがお唱えする「懺悔文」を見てみましょう。
つづく
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