仏のことば
二、三帰礼文(さんき らいもん) その5
 自(みずか)ら法(ほう)に帰依(きえ)したてまつる。当(まさ)に願(ねが)わくは衆生(しゅじょう)と共(とも)に、深(ふか)く経蔵(きょうぞう)に入(い)りて智慧(ちえ)海(うみ)の如(ごと)くならん。

 ここでは仏の教え、すなわち法への帰依が唱えられます。同じように「当に願わくは衆生と共に」という大乗仏教の立場が唱えられ、しっかりと教えを体得する決意が述べられます。「経蔵」とは先ほど法宝のところで説明しました。そこでは教え、すなわち経の集成を「経蔵」と述べました。「蔵」の梵語の意味は「籠(かご)」ですが、大きな籠の中に教えが詰め込まれているイメージがあったのでしょう。しかし「籠」の原語を多くのものを収蔵する場所と考え、中国語では「蔵」と翻訳しました。そして中国・日本では経蔵は蔵にお経が保管されているイメージになりました。そのような蔵に入り何万巻の経典を読み、学ぶことが「深く経蔵に入りて」という意味になります。そこで学ぶことで智慧を身につけるのです。
 仏教の修行の基本体系に聞思修(もんししゅう)というのがあります。これは聞(もん)慧(え)・思慧(しえ)・修(しゅう)慧(え)を短縮した言い方で、三慧ともいいます。「慧」とは詳(つまび)らかに観察し、多角的に分析し、仏の教えを知る智慧のことです。まずそのためには、すぐれた師匠からきちんと教えを受けなければなりません。その段階の智慧を聞慧といいます。次に教えてもらった内容をしっかりと自分で考え、まとめて理解しなければなりません。そこで働かせる知恵を思慧といいます。次によく理解した内容を身につけるためには実際に修行しなければなりません。修行において仏の教えを思い浮かべ、それを身体で修得します。その段階で働く智慧を修慧といいます。
 このように仏教では、むやみやたらに信じればよいのではなく、しっかりと智慧を働かせて仏の教えを受けとめるのです。そのためには仏の教えの集成である「経蔵」に入って、しっかりと経典を学習し、智慧を身につけるのです。
 各宗派の祖師方はそれぞれに深く経蔵に入って経典を学習し、独自の教理を打ちたてました。その中でも弘法大師は卓越した智慧を発揮された祖師です。弘法大師は他の祖師方と違い、インドの言語にも通じ、また中国の道教や儒教にも深い学識を持っていました。そのような学力もあり、経典を広く、深く学ぶことができたのです。弘法大師の書かれたものを読むといかに多くの経典を身につけ、しかも、しっかりと修行において経典を理解したのかが分かります。まさしく「深く経蔵に入りて」智慧は海の如くに広大であったのです。このような智慧を衆生と共に求めるために、私たちは法宝に帰依するのです。
つづく
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