かぜのたより
風(かぜのたより)信  -No.40-
 自然との共生という言葉を耳にしますね。自然を大切にする。エコな暮らしを求める。環境に関することが新聞やテレビなどで話題となっています。また、東日本大震災の後には、電力制限が行われたことにより、節電や節約という話題がそこかしこで伝えられました。科学技術がこれだけ発達して、私たちの生活は贅沢過ぎるくらい便利で快適になりました。でもその反面、額に汗を流したり、身体を動かし手を汚して、自分で何かをやり通すことは減りましたよね。
 そうした意味では、あの数ヶ月間の電力制限の暮らしは、私たちに不自由な暮らしを実感させ、便利で快適な今の暮らしを見つめ直す機会を与えてくれました。今でも震災の被災地や原発の影響で苦しい生活を強いられている人たちはいっぱい居ます。その人たちへ思いを馳せ、あの震災で命を亡くされた魂のご冥福を祈らずにはいられません。それと同時に、自然の恩恵と脅威を前に、自身のあり方を見つめて噛みしめる機会にしなくてはなりません。
 暑さ寒さも彼岸までとは本当によく言ったものです。しかし、この格言で気づかされたのは、先人の観察眼と感性です。夏の暑さを過ぎて、残暑を乗り切ると台風に遭遇し、季節は秋へと移ります。十五夜の満月を愛でると吹く風も涼しくなり、陽が落ちるのも早くなります。天空から落ちる雨がもたらす大地の恵みは、生きとし生けるもののいのちを育み、無くてはならぬものを生み出します。仲秋の名月を愛でる、吹き抜ける風を心地よく感じる、雨音の調べに耳を傾ける。そうやって、私たちは自然のふところに抱かれ、花鳥風月に感性を磨きました。
 そんな自然の何気ない営みに心を傾け、自身の豊かな感性を育む。自然の中に身を置き、自身の存在を実感する術を身につけます。だから自然の猛威も肌で感じ、そこで失われた多くの「いのち」に対する痛みも心に刻んできたのです。「天災は忘れた頃にやってくる。」この言葉は日本人の精神的な強さをも言っている気がするのです。
 法爾自然(ほうにじねん)という言葉は、自然の「ありのまま・そのまま」の人間の作為的なものを加えない自然の摂理という意味で、時に仏教で用いられる言葉です。自然を開発する、科学技術の発展で二酸化炭素を多く排出する、そうした結果が自然の破壊につながる。それによって、さらに多くの災害がもたらされると言われますが、因果関係がはっきりしない現状はそれとしても、私たちは自然との関わり方を考え直す時なのではないでしょうか?「自然の中で私たちはどう活かされるのか?」「自然に包まれて他の生き物とどう共生するか?」という視点じゃないと自然の恵みを受けられなくなる。その日はもうすぐそこに来ている予感がしてなりません。
 仏教はいつも、大自然の大いなる恵みに感謝し、ちっぽけで至らない人間の存在を見つめて、どう活かされるかを考えるまなざしを持っています。だから法爾自然の言葉が、いま身に沁みるのです。

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