真言宗智山派吉祥院珍珠山

吉祥院について

縁起 歴史とあゆみ

Since 1470

吉祥院のフルネームは、珍珠山・多聞寺・吉祥院です。
その歴史をさかのぼると今からおよそ550年前、1470年(文明2年)になります。
この頃には荒川(旧入間川)の清域に堂宇が建立されていたと伝えられます。
それから歳月の流れる中、末寺十一カ寺を有し、鎮守には八幡社が勧請されておりました。
この川沿いの寺を訪れたのは、現在の川口市本町にある錫杖寺を中興した
宥鎮(ゆうちん)和尚でした。
宥鎮和尚は現在のご本尊を勧請するなど、境内の整備に尽くされました。
それ以来、宥鎮和尚が中興開山となり錫杖寺の末寺となりました。

ご本尊毘沙門天は、行基(ぎょうき)菩薩が聖武天皇の勅願により刻まれたご尊像です。
その後、太田道灌が江戸城西の丸を築いた折に、北方を守る本尊としてお祀りされました。
さらに1475年(文明7年)に当院に寄進され、ご本尊として安置されました。
以来、吉祥院のご本尊は永く絶対秘仏として護持されました。

1656年(明暦2年)に荒川の大氾濫により、吉祥院の堂宇すべてが濁流に押し流されてしまいます。しかし仏縁のなせる業か、ご本尊は河口から奇跡的に発見されたのです。
それから後も荒川の水害により、吉祥院は存亡の憂き目にしばしば遭遇します。
しかしその度に、吉祥院をより所にする檀信徒の篤い信援に支えられ再興をくり返して、現在の地へお祀りされました。
この再建時に提外へ移された八幡社は、1974年(昭和49年)に氷川社を合祀され、現在の横曽根(よこぞね)神社となりました。
吉祥院伝来の「秀寛遺状四十九箇条」には、仏の教え(仏法)と檀信徒がご本尊の加護を得る道が説かれています。
こうした精神が歴代の住職に脈々と受け継がれ、吉祥院は過酷な運命からの復興が成ったのでしょう。
現在も、さまざまな年中行事を催し、縁深い檀信徒や地域住民の皆さんが、寺を訪れます。