真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

わかりやすくQ&Aご縁は結ばれていますか?

Q1ご縁って、なあ~に?
 "縁"は仏教では最も大切なものと言えるでしょう。世間では人と人とのつながりや結びつきをいう時に「ご縁がある」と言いますね。男女の仲のことを「縁結び」と言ったりします。また「縁起が良い、悪い」も日常でよく使われるでしょうか。そして仏教では「縁起」はお釈迦さまの教えの核となるものです。
 この世のすべてのものは「縁って起こる」というわけです。この世の中に存在するものすべては、それだけでは成り立たない。必ず何か関係がないと生まれてこない、無くならないというわけです。因果関係とか因果応報と言ってもいいでしょうか。原因があって条件が整って結果が出る。花に例えれば種があって、土の養分や光や空気という条件が整って、芽を出し成長して花を咲かせる。それが「縁起の法」、お釈迦さまの教えです。平たく言うと「自分一人では生きられない。」ですかね。
Q2内々で済ませちゃって大丈夫なの?
 震災の後、「人と人との縁があらためて結ばれ、絆が深まった。」ということがよく話題となりました。やっぱり人は一人じゃあ何もできない、お互いに助け合い、支えあわないと……。本当にそう思います。でも震災から離れたところでは、そうした関係からはどんどん遠のいていることを痛感しています。
 それは何か? 「内々意識」です。家族の誰かが亡くなってお寺に知らせが入ります。その時、多くの方は「内々で済ませたい。」「家族葬にしたい。」とお話になります。それはなぜか? 「故人がそう望んでたから。」とか「忙しかったり、遠方から来てもらうのは迷惑になるから。」と言います。でもそれは本当にそうなのでしょうか?
Q3人と人との関係を断ち切ってしまわない?
 内々で済ますと、どうなるんでしょう?相手を思いやっているように聞こえますが、そうでしょうか?知らせられない人の気持ちはどうなのでしょう?せめて亡くなられた時くらいお焼香を捧げて冥福を祈りたい。忙しくても遠くても駆けつけたい。そう思うのがご縁を結んできて、絆を深めてきた人の気持ちでしょう。故人と関わりのあった人のお別れの機会を絶ってしまう。それが「内々で済ます」現実です。
 関わりのあった人にお別れの場を設けるのが、葬儀であり、ご法事です。亡き人を偲ぶ場です。お寺にはお別れできなかった人が後日お墓参りに訪れる光景を目にします。一人じゃあ生きられない。だから最後くらいご縁を確かめ、旧交を温める機会を大切にしたい、そう思いませんか? 亡き人を偲ぶ時、それは自分自身を見つめる時でもあります。そのチャンスを奪わないようにしませんか。

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