毘沙門さまの功徳毘沙門さまのルーツとはたらき
その1
話が大分ずれてまいりましたけれども、今度は毘沙門さまの過去の経歴といいますか、出身についてもう少したどっていきたいと思います。毘沙門さまはご承知のように出身がインドです。インド伝来の福の神は毘沙門さま、大黒さま、それから弁天さまの三つです。それから、布袋さま・寿老神・福禄寿、この三つの福の神は中国伝来です。そして、日本出身は恵比寿さまというのはご承知のとおりです。毘沙門さまはインド出身であります。それで、そのみなもとを尋ねると紀元前十世紀頃の文献に出ています。今から三千年ほど昔になるわけですが、仏教よりも、もっと古くから信仰されてきた神さまなんです。
仏教に入ったのはずうっと後のことになります。文献で確かめられるのは紀元後百年、二百年くらいになります。今から千七百年、千八百年ほど前に毘沙門さまは仏教に取り入れられたようです。毘沙門さまのお名前は、インドの言葉では「ヴァイシュラヴァナ」と言います。「ヴァイシュラヴァナ」という言葉の発音を中国の人たちは耳で聞いて、漢字で書いた時には「毘沙門」となったわけです。「ヴァイシュラヴァナ」という言葉が、インドからシルクロードを経て、いろいろな国々、いろいろな民族の言葉をたどって、中国へ来たわけです。発音では「ヴァイシュラヴァナ」といいますが、それがだんだんいろいろな国を経て行くわけですから、発音とか、聞いた印象でも次第に音が違ってきます。中国に伝わって来た時には、「毘沙門」と聞こえたわけです。
それでは、ヴァイシュラヴァナとはどういう意味かといいますと、「よく聞くこと」「たくさん聞くこと」ということです。“多聞天(たもんてん)”という言葉を聞いたことがあると思います。多い、多数の「多」という字に「聞く」という字を書いて「多聞」と読みます。お酒の好きな方はご存じだとは思いますが「多聞」という銘柄の日本酒がありますね。
ヴァイシュラヴァナ、毘沙門さまとは、たくさん聞いていること、よく聞いて、よく知っている者という意味になります。今日の言葉で言えば「博学である」「知識がたくさん詰まっているもの」という意味に考えられます。「耳(みみ)年増(どしま)」と言いますが、それも広い意味で、毘沙門をいい表していると考えられるわけです。いろいろ耳で情報を仕入れてきて、そして、たくさんの知恵を持っている。そういう福の神が毘沙門さまと考えてください。
その2
そこで二番目の問題です。それではたくさんの物事を聞いて、たくさんの知識があればそれでいいのだろうか。たくさんの情報を収集して、そのたくさんの情報を自分がしっかり持っていれば、それで幸せになれるのだろうか。これが二番目の疑問です。これも考えていかなければなりません。そこで、まず、どこに毘沙門さまが住んでいたかということから始めますと、これは仏教の世界として考えるわけですが、この世界の中心には「須弥山(しゅみせん)」という山があり、その山の回りに八つの海と九つの山があるのだそうです。ぐるりぐるりと、一重、二重に円く囲んでいるようになっていて、その中央に須弥山という山があるわけです。その山の中腹(ちゅうふく)にお城がある。山には東西南北の四面があるわけですから、そのうちの北の方角に毘沙門さまのお城があり、そこで仏教を守護していると言われています。
これから法要が始まりますので、皆さんは本堂に上がるわけですね。そうしますと、本堂の奥に本尊さまの宮殿(くうでん)がありまして、その下のところに、どこのお寺も同じですけれども、宮殿を支える大きな台があります。あの台の上に仏さまが立っているんだなあ、というふうにお考えになると思いますが、実はあの台が須弥山を表しているのです。このお寺でいいますと、お寺の中心のところに須弥山がある、つまり私たちにとっては、須弥山にある宮殿がこの世界の中心地だと考えるわけです。そして、須弥山の山の上では、お釈迦さまがお弟子さんたちにいつも説法をしているわけです。
それで、この台のことを須弥山の壇、つまり“須(しゅ)弥壇(みだん)”というわけです。この須弥壇というのは、皆さん、今度はお家に帰ってからお仏壇を見て下さい。お仏壇を開きますと、まず三段くらいに仕切られていると思いますが、その中央の部分は左右に柱があって、そこにお位牌なり、仏さまのお姿がお祭りしてあると思います。そのお姿の下をちょっと良く見ますと、横に三本とか四、五本の筋(すじ)が引かれてあるはずです。その筋は、この地球を構成している大地であるとか、それから水であるとか、風であるとか、そういう地球を作っている要素を表現しているんです。その上に須弥山というお山があって、その須弥山の上の方で仏さまが説法していると考えているわけです。ですから、お家へ帰ったらお仏壇の中を拝見してみてください。
その3
そうしますと、お釈迦さまが説法している須弥山というお山は、私たちにとっては決して遥(はる)か向こうにあるのではないことが分かります。しかも、仏さまがそこで説法される道場を、東西南北のそれぞれでお護りする福の神がおられるのです。東西南北を護(まも)るわけですから、ニコニコしていないで、要するに侍の姿、兵隊さんの姿をして、仏教を滅ぼすような敵が来た時には戦争も辞さないという厳しい態度を示しているわけです。毘沙門さまは仏教に取り入れられてきたわけですから、先程も申し上げましたように、毘沙門という名前が最初からありましたので、やがて次の時代の人たちは考えたわけです。「毘沙門というのは仏さまの道場を常に良く護る。良く護るということは耳で良く聞いているな。そうか、なるほど、なるほど。毘沙門さまは北方の隅っこで護っているような振りをしながらも、お釈迦さまの説法を良く聞いていて、仏教のことが良くわかっているのだな。それで毘沙門というのだな。」これが、一つ大切なことです。
それから、毘沙門さまの勢力が強いという噂、名声が、非常に広く、大勢の人々に聞こえわたっている。だから多く聞くと書いて「多聞」と呼ばれるわけです。つまり、お釈迦さまの教えをたくさん聞いたから「多聞」という場合と、たくさんの人々が聞いているから、多聞だとい二つが考えられるようです。これは後から考えたことなんですが、大事なことは、たくさんの事柄を聞いたこと、そして、その聞いたことが周りの人によって教えられ、広まっていったということだと思います。
その4
この他にも、毘沙門さまについて、どんなことが言われているかといいますと、今の話はインドですけれども、今度は中国になります。唐(とう)の時代、玄宗(げんそう)皇帝(こうてい)の頃、戦争に関係することなんですけれども、北のほうから敵が攻め込んで来たということがありました。これは危ないということで、その時に、インドから伝えられた真言(しんごん)密教(みっきょう)の経典を訳していた不空(ふくう)三蔵(さんぞう)というお坊さんがおりました。この不空三蔵のところへ、玄宗皇帝が「どうも国が危ないようだ。なんとか国を守って、敵を退(しりぞ)ける方法はないものだろうか。」と相談を持ちかけました。不空三蔵は真言密教の偉いお坊さんですから、「分かりました。それでは、北方を護るには毘沙門天という勝れた仏教守護の福の神がおられますので、この福の神にご祈願(きがん)しましょう。」そうして、ご祈願をいたしましたところ、たちまち霊験(れいけん)があって、唐の人々が救われたという話が残っています。
それからもう一つ、これも争いに関係してくるのですが、日本の聖徳太子の時代に、太子がこれから日本の政治をやっていく上でこう言ったわけですよね。「篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬(うやま)え」「和(わ)をもって貴(とうと)しとなす」といった言葉が残っています。しかし、そのためには政治的な敵と争わなければならない。物部(もののべ)氏(し)と争う時に、毘沙門さまを彫(ほ)って、それを自分の頭の上に頂いて戦ったと言われております。どうもこれらは、北を守る毘沙門さまが、戦争の時に強い味方になるというところが、非常に信仰されてきたと考えられます。当時は、いろいろと戦乱の世の中だったということも、大きく影響しているかと思われます。
こうした中で平安朝には都が京都に移りましたので、先程、申し上げましたように、都の北には鞍馬山がある。それじゃあ鞍馬山には毘沙門さまをおまつりすれば、北から入ってくる悪いものはいなくなるだろうということで、鞍馬山に毘沙門さまがまつられたのだとも言われています。それから、もうひとつ申し上げますと、有名な上杉謙信。この越後のお侍さんも毘沙門さまを非常に信仰していて、旗印(はたじるし)に毘沙門さまの“毘”という字を書いて戦っていたということはご承知のとおりだと思います。