風信(かぜのたより)No.30
ただ、思いどおりにならないことが自分自身のことなら、それはまだ、自分で自分を落ち着かせたり、気持ちをいさめればいいのです。しかし、これが自分以外の家族や大切な人。つまり、愛情や思い入れの強い人に対して想いが強くなると、これはとても悩ましいことになりますね。 苦とは思いどおりにならないこと。それは、仏教を開かれたお釈迦さまが生きていた時代からインドで言われてきました。自分の思いどおりにならないことが、すなわち苦しみである。自分自身が思うとおりにならないことも苦、自分の大切な人が自分の望むようにならないことも苦。だから、生きていることは苦である。そのことを仏教では「諸行無常、一切皆苦」と言います。「この世に存在する、あらゆる現象は移ろいゆく、だからすべてはみな苦しみである。」というわけです。
だから、夫婦の間でも親子の間でも、友達どおしでも、思い入れが強ければそれだけ、「もっとこうすればいいのに」とか「こうしないからダメなんだ。」などと思い込んで、ついには「言うことを聞いてくれない。」「せっかく心配しているのに……」なんて、今度は自分が思い惑うことになってしまいます。 急がず見守っていることも、時には必要ではありませんか? 人はそれぞれに、能力も性格もペースも違います。あなたのペースはあなたが慣れ親しんだもの。それが他人にもなじめるとは限りませんよね。人はそれぞれに得意とするところや苦手なことがあります。自分の考えや、やり方が他の人にも同じように効果的とは限らないでしょう。また、立ち直るペースも人それぞれです。
すぐに回復できる人もいれば、ゆっくり時間をかけて少しずつ元に戻る人もいるはずです。もしも、心が傷ついているなら、その傷がいやされるには、時間がかかるでしょうし、見た目には回復の具合がなかなかわかりません。あなたの大切な人ならば、黙ってあたたかく見守ってあげることも、相手への手助けかも知れません。その人がもともと持っている力を信じて、待ってあげることが、むしろ、心強く思えるかも知れません。でも、それはとてもつらいこと、しんどいことでもあります。 信じることは自分自身が試されることにもなります。言いたいことをグッとこらえて、大切な人を見守るのは並大抵のことではないでしょう。でも、その想いはきっと相手には伝わっているはずです。信頼という字は、信じて頼ること。寄り添うこと。相手の温もりや息づかいが感じられる距離にいれば、それだけで大丈夫ですよ。