風信(かぜのたより)No.29
大切な人だから、いつも一緒にいる。それがいつの間にか、当たり前になってしまう。「言葉で言わなくても分かっているはず・・・・」そんな大きな誤解、勝手な思い込みをしていませんか。 当たり前にあるものは、いつもその大切さを忘れ去られてしまうようです。いつもそばにいる、いつもそこにあると、ついつい慣れ親しんで、ねぎらいや感謝の気持ちを失くしてしまう。自分が一人で何でもできるわけじゃない、そんなことは分かっていても、日々の暮らしの中で、自分がいろいろな人やモノに支えられていることを見失ってしまう。「おかげさま」の心を忘れちゃう。自分が生きているのは、多くの"陰(かげ)"があるからだ、そんな至らない自分の存在に気づかない。だから、「お陰さま」の言葉は、自分が自分を見失わないために、いつも口にしていなければならないのです。
身の回りの世話をしてくれる人、稼ぎを家に持って来てくれる人・・・・。でも、なぜ世話したり、稼いだりするかって言えば、それは、あなたが大切な存在だと思われているからこそでしょう。 身近にあるものと、そして、空気、陽の光、雨、大地や海の恵みなどの自然にも、私たち日本人は「お陰さま」の気持ちを、ずっと昔から抱いてきました。自分ひとりの力じゃ何もできない、至らない自分を痛いほど実感してきたから、普段から当たり前のように「お陰さま」の言葉を、口にしてきたのでしょう。きっと自分以外への、自分の他への配慮、思いやりの心が「お陰さま」に込められているのです。
仏教では、抜苦与楽(他人の苦しみを抜き、楽を与える)と言います。そして、他人の喜びも悲しみも、わがことのように感じられる相手をいつくしむ想いを「慈悲」と言いあらわします。さらに、自らが積んだ功徳をあまねく一切に及ぶようにと願うのが、仏教の教えの最も大事なところです。当り前の存在となっている大切な人へ・・・・。そして、自然の恵みにも、あなたの眼差しを向け、しっかりと見つめ、素直な想いと感謝の言葉を口にしてみましょう。
「おかげさま」そして「ありがとう」と。