真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.20

 このままじゃいけない、と思うことってありますか? 自分の生活スタイルを振り返ったり、これからの生き方に思いをめぐらして、そう思うことってありますよね。また、いま話題となっている社会問題や青少年の犯罪、家族をめぐる事件を見たり聞いたりして、これからの社会に不安を感じて「このままじゃいけない・・・・・・」と思うことはありませんか?
 オウム真理教の事件から十数年が過ぎて、それからさまざまな新興宗教に多くの迷える人たちが足を踏み入れたり、家族の中で殺人や虐待があったり、そんな話題が毎日のように流れてきます。教育や道徳が荒廃したからとか、常識が薄れてきたとか言われていますが、いま、いったい何が起っているのでしょう? そして、その原因はどこにあるのでしょう?
 家族と家の宗教が、きっと、このさまざまな事件や問題の根っこにあるように思えてなりません。この数十年の間に核家族化がすすんで家族の絆(キズナ)が薄れてきたと言われます。ちょっと前なら、親子とおじいちゃんやおばあちゃんが一緒に住んでいて、親子だけではうまくいかないことも、お年寄りが手助けをしたり、何か解決する知恵をうまく教えてくれたりしたもの ですよね。年上への尊敬の念とか、いたわる気持ちもそれによって培われたのでしょう。もちろん、嫁姑の関係やいろいろなこともあるでしょうが、そうしたものをひとつひとつ乗り越える術を、家族の中でみんなが身につけていったわけです。
 お年寄りが自分の経験によって身につけたことを子供たちに伝える。長い歳月の中で培われた「生きる知恵」は、家族がみんなで自分らしく生きてゆくための支えとなり、よりどころとなっていたのでしょう。そして、その中でいちばん大切なものが、みなさんの家の宗教でしょう。毎日、お仏壇に手を合わせてご先祖さまのご冥福を祈り、また、ご先祖さまに家族みんなの幸せを祈り、感謝する。自分の内にある魂が、ご先祖さまから受け継がれてきたこと、いのちが脈々とつながってきたことを実感する。それは、人のいのちと人との絆の大切さを身に染みることにもなるのです。

 お仏壇に向かって、目には見えないご先祖さまに手を合わせる。お仏壇の中央に祀られている仏さま(真言宗は大日如来)に願いを祈る。確かに、非科学的な行為かも知れません。でも、私たち日本人は、この行為をず~っと毎日繰り返して、無事であることを祈り、無事であったことに感謝してきました。お仏壇は、仏さまの大いなる力にすがって祈り、ご先祖さまに、いのちある自分を感謝する空間です。祈りと感謝の心、目には見えなくても、手には触れられなくても、魂と魂が触れ合う空間がお仏壇です。私たちに大切なもの、それは心や魂を感じて、その魂が触れ合うこと。そのことさえ、しっかりと身につけておけば、きっと大丈夫です。そんなふうに家の宗教を伝えてゆく、魂のつながりを受け継いでゆく、そのためにも、お年寄りから小さなお子さんまで、みんなで、お仏壇に手を合わせましょう。
 自分ひとりでいると自由気ままでいい。そんなのはひとりよがりの幻想です。人は孤独にたえられない生きものなのです。必ず誰かを求めます。人づきあいのわずらわしさを避けるより、人づきあいの中から、喜怒哀楽に共感できる人といるほうが、本当の生きがいを見つけられるのです。仏教で説かれる観音さまの心は慈悲と言います。この心を象徴したのがハスの花です。真っ白や透明なピンクの色は、見つめれば見つめるほどに心が清々しく澄んでゆきます。慈悲の慈は、相手の喜びを我がことのように喜び、悲は相手の悲しみを我がことのように悲しむという意味です。共に生きることは、わずらわしいことにはなりません。むしろ、清々しい安らかな心を育むのです。

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