真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.19

 心をかよわせることが、最近ありますか? 夫婦どおし、親子で、親しい人と・・・・・・心が通じていますか? コミュニケーション不足だなあ・・・・・・会話が少ないなあ・・・・・・何を話していいのやら・・・・・・そんなことを感じながら、毎日の暮らしに追い立てられて、ついつい、心と心をかよわせる時間をおろそかにしていませんか? そんな時間をわざわざ取らなくても、もうお互いわかり合っているから・・・・・・なれ親しんでいるから・・・・・・。目は口ほどにものを言う・・・・・・なんて言う人に限って、相手のことを見つめることもできないものです。コミュニケーション不足の言い訳を考えるあなたは、面倒くさがりで、気むずかしい人とまわりから思われているかも知れません。
 共に生きるということは、わずらわしいことかも知れません。でも、ひとりで生きてゆくことはできないでしょう。そして、自分が生きてゆけば、必ず、誰かの世話になったり、誰かに迷惑をかけてゆくはずです。両親や家族、ご近所や地域社会、もう少し視界を広げれば、私たちをとりまく自然や宇宙。自分以外の他人や水や空気や陽の光が失われたら、元気で健やかに暮らすことはできません。そういう自分をとりまく環境とか、自分を抱いてくれるものに対する心づかい。一人で生きてきたんじゃない、今の自分は多くのいろいろなものに支えられている、そう思いをめぐらせることができれば、共に生きることは、自分にとって何よりもかけがえのないものに思えてくるのではないでしょうか?

 喜びも悲しみも分かち合える相手がいることは、とても素敵なことですよね。同じものを見て、同じことを感じる・・・・・・一緒に時間を共有できる相手がいる。一緒に喜怒哀楽を共感できる人がいる。
 あなたにはそんな人がいますか? まず、親と子の心と心を通わせてみましょう。夫婦の会話を少しずつ増やしてみましょう。同じ空間に一緒にいる時間をつくって、今日の出来事を話してみましょう。一緒に何かに挑戦してみましょう。何でもいいんです。ささいなことを、ひとつひとつ始めてみてはいかがでしょう。
 自分ひとりでいると自由気ままでいい。そんなのはひとりよがりの幻想です。人は孤独にたえられない生きものなのです。必ず誰かを求めます。人づきあいのわずらわしさを避けるより、人づきあいの中から、喜怒哀楽に共感できる人といるほうが、本当の生きがいを見つけられるのです。仏教で説かれる観音さまの心は慈悲と言います。この心を象徴したのがハスの花です。真っ白や透明なピンクの色は、見つめれば見つめるほどに心が清々しく澄んでゆきます。慈悲の慈は、相手の喜びを我がことのように喜び、悲は相手の悲しみを我がことのように悲しむという意味です。共に生きることは、わずらわしいことにはなりません。むしろ、清々しい安らかな心を育むのです。

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