真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.13

 人が夢を見ると「はかない」ことになります。なぜなら「はかない」を漢字にすると「人が夢を見る」と書きます。でも、人は時に、夢見ることがあります。それが幻想だったり、儚(はかな)いことにならないためには、その夢が叶(かな)うように努力・精進を重ねなければなりません。何もしないで、ただ、夢を見ているだけでは、儚い夢に終わるしかありません。その反面、叶わないかも知れない夢に向けて、一生懸命に毎日を生きてゆくなら、その人の生きざまは望みに満ちたものになるでしょう。その人らしい人生を送ることになるでしょう。
 見果てぬ夢を抱くことは、一見、非現実的なことのように思えますが、私たち人間が生きてゆく上で、とても大切なことではないでしょうか。「奇跡は、明確な意思を込めた行為の積み重ねから生れる」という言葉は、奇跡や夢が叶わないと、決めつけ、手をこまねいているだけのナマケモノをあざ笑うかのように思えてきます。
 夢を抱くことは、人が生きがいを抱くことでもあります。そして、お金やモノについつい価値を求めてしまう今の私たちに、目には見えなくても、手には触れられなくても、かけがえのないものがあることをいつか、必ず、実感させてくれます。夢はなかなか叶うものではありません。ひょっとしたら、一生かかっても手の届かないことかも知れません。でも、だからといって「じゃあ、や~めた。」とあきらめたら、それで、あなたらしい人生はピリオドを迎えることになります。
 夢は人それぞれに違うものです。その人なりの、その人だからこそ、思い描ける夢があるはずです。だから、その個性的な夢が、あなたの内に眠るあなたらしい性質を培(つちか)うのだと思います。あなたらしさを育むためには、長い時間を要するのは、仕方のないことでしょう。だから、夢はなかなか叶わないのです。そして、あなたのかけがえのないものは、時間をかけて、あなたの中でゆっくり、じっくり熟成されてゆくのです。
 願いや祈りが積み重なり織りなされ、夢は現実のものへとかたちづくるとも言えます。なぜなら、人の願いや祈りは、自分自身の至(いた)らなさから、生れるものだからです。自分の力では、とてもおよばない、叶わない、かけがえのないもの、という自覚があるから、人はひたすら祈るのです。世界中で多くの人が、毎朝毎晩、祈りを捧げます。祈りを捧げない人間は、この世のものすべてが、自分の力で何とでもなるという過信を抱いているからです。しかし、自然の力の前には、私たちは無力に等しいでしょう。それは、これまでの大きな災害を思い出せばすぐに分かります。
 

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