真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.3

 決めつけることってありますよね。私たちの生活の中で「この人はこういう人」だとか「こうしておけばこうなる」とか「これはこういうもの」とかね。それと同じように、あきらめてしまうこともいっぱいありますね。「自分はこういう性格だ」とか「自分はそんなことできない」それから「あの人には何を言ってもダメ」とか…… 決めつけると、あきらめにつながる…… でも、そう思った瞬間から、すべての可能性はゼロになってしまう。何も無くなってしまいます。そうしたら、あなたの人生、生き方は、新しいことは何も起こらない、もうそこで終わってしまうことになりませんか?

 なぜ決めつけるのか?と考えたら、それは「そうしたほうが楽だから」という答えになるのでしょうか? 考えるのがめんどうだから、忙しくってそんなに気を配っていられない、なんて言い訳を考えている。でも、決めつけたら、それがあきらめにつながり、それで、あなたの夢も希望も、はたまた人生も味気ないものとなってしまいます。これは決して大げさなことではありません。「人間五十年」が寿命の時代から、いまや、三十年も多く生きるわけですよね。その三十年を「決めつけて、あきらめる」人生として、いたずらに過ごしていいのでしょうか?
 齢(よわい)を重ねてあなたのおじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さんが老いゆく時、ちょっとモノ忘れがひどくなったり、勘違いが多くなっても、「ボケた」なんて決めつけないでください。生涯の後半戦、新しい数十年の人生がはじまったと受けとめて、よくよく見つめて、やさしく包み込むように接してみてください。あなた自身の発想や価値観も根こそぎ変えてみて、自分を大切にしてくれた人ときちんと向き合ってみる。その人生が自分らしくふさわしいものとなるように共に歩んでみましょうよ。ちょっと見方を変えると、可能性はいくらでも広がるはずです。

 人は誰でも年老いて死を迎えます。子供が成長して大人になるように、大人は年老いて子供に帰ります。自分の連れ合いや親が老いを迎えて、自分ではどうすることもできなくなる様子を受け容れるのは、とても悲しく辛いことです。でも、だからこそ、新しい第二の人生は、少しでも可能性と夢と希望を持てるようにしたいですよね? それなら、決めつけたりあきらめる暮らしから決別しようじゃありませんか……

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