真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

興教大師 覚鑁


 興教大師・覚鑁上人は、真言宗の中興(ちゅうこう)の祖と言われています。平安時代末期、世の中に末法(まっぽう)思想が広まりました。穢(けが)れたこの世を離れて、極楽浄土に往生したいという願いを抱く人々が増える中で、真言宗の教えをわかりやすく説かれました。 
覚鑁上人は、弘法大師空海の教えを守ることに心を傾けました。かつて弘法大師さまが歩まれたご生涯に思いをめぐらし、お大師さまと同じように厳しい修行を重ねられました。まわりがどんなに堕落しても、怠惰な暮らしに甘んじていても、そうした風潮に流されずに、ひたすら仏道修行に励みました。しかし、そんな一途な覚鑁上人を、わずらわしく、うとましく思う者もずいぶんいたようです。
 そんな覚鑁上人は、高野山の座主(ざす)【最高の職】にまで登りつめます。しかし、反感を抱く人たちによって高野山を追われてしまいます。そこで、覚鑁上人は、彼を慕う弟子たちと一緒に紀州【和歌山】の根来寺に移り、晩年まで弘法大師空海の教え【法】を伝えようとしました。その象徴とも言うべき建物が根来寺に現存する大伝法堂で、そこで大伝法会という法要を行ったのです。
 はじめの言葉は、覚鑁上人の著作『五輪九字明秘密釈(ごりんくじみょうひみつしゃく)』につづられています。苦しい修行をくり返すことに疑念を抱く弟子をいましめ、はげます言葉と言えるでしょう。(ばん)は真言宗の教主・大日如来のイニシャルです。「大日如来への信心に、何か疑問や不安を抱くなら、その疑念を抱く前に、大日如来の教えをまず自分で実践【修行】して、大日如来の境地を実感しなさい。」「この一生を、ただ空しいままに過ごすことが無いように願おう。」と、厳しい修行にくじけそうな弟子たちに語りかけます。頭で考え、不安になって躊躇するより、みずから進んで実行する。これが仏教の本質と言えるでしょう。

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