一遍
この一遍の言葉は次のように続きます。「捨てようとする心をも捨てて唱える念仏こそ、往生(おうじょう)そのもの。すべての教えは、南無阿弥陀仏の名号になり果てた。」
一遍上人は、時宗(じしゅう)という浄土教にかかわる宗派の開祖です。鎌倉時代の中頃から室町時代にかけて、空也(くうや)上人が始めた踊念仏(おどりねんぶつ)を日本全国津々浦々まで熱狂的に広めたお坊さんです。また、この時代に多くの人々がお参りした熊野信仰を盛り上げた立役者が一遍上人とも言われています。
一遍の弟子たち、念仏聖(ねんぶつひじり)たちは熊野本宮を特別な聖なる場所としました。それは、熊野本宮の大斎原(おおゆのはら)の地で一遍上人が熊野権現(ごんげん)のご神託(しんたく)を授かり、悟りを開かれたからです。一遍上人は、その後、蒙古襲来の北九州から鎌倉、東北地方までをもめぐります。道行く人々に南無阿弥陀仏と書かれたお札を配り、鐘や太鼓を打ち鳴らし、床を踏み鳴らして名号(みょうごう)を唱えながら激しく踊り、雑念を捨て去って、少しでも阿弥陀如来の世界に近づこうとする、それが踊念仏です。
ひとつの場所に留まらず、時の流れとともに歩みを進め、出会う人々に阿弥陀仏の信仰を、一遍上人は身を持って広めようとしました。仏教は考えるものでなく、身体で感じるもの。信仰とは、人々の切実な想いを祈り、叶えるもの。自らが、自分の抱えるすべてを捨て去って、何も失くして、仏の救いの力に身をまかせる。そうすれば必ず安楽な心地が訪れると信じて疑わない。失うことに何一つ不安を残さない、そのための踊念仏。怖れや不安ばかりにおびえる今の私たちに、夢中になること、すべてを空っぽにすることの意味を、教えてくれている気がします。