真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

源信


 源信は日本浄土教の開祖と呼ばれています。浄土宗の開祖 法然(ほうねん)や日蓮宗の親鸞の称名念仏(しょうみょうねんぶつ)【南無阿弥陀仏と称(とな)えれば極楽往生(ごくらくおうじょうできる】という思想に大きく影響を与えました。その源信が『往生要集(おうじょうようしゅう)』をまとめたのは、四十三歳の時でした。『往生要集』はその後の日本の絵画・彫刻史に、大きな影響を与えたと言われています。それは、どんな影響だったか?つまり地獄絵図です。『往生要集』には、身も凍るほどすさまじい地獄のありようを描く一方で、うるわしい天女が舞い、たえなる音楽がでられる極楽の様子を対比して描きました。
 お釈迦さまが涅槃(ねはん)に入られてからおよそ千年後に、教えがすたれて末法(まっぽう)の時代が訪れる。そうした考えが、平安時代末期、天変地異や飢えや疫病などの社会不安が世の中にあふれると、末法思想としてささやかれました。こうした時代の流れの中で、極楽に往生したいという願いが広まり、そうした背景から、この「往生要集」が生まれたのでした。
 大空から降る雨は、地上のすべてのものをわけへだてなく潤わすけれども、その恵みを受ける草木は、それぞれに違ってくる。源信は、『法華経(ほけきょう)』の薬草喩品の一節をこのような歌にして詠みました。大空から降る雨を仏の教えに、草木を生きとし生けるものに喩(たと)え、一切の衆生(しゅじょう)は、自分自身の努力や精進(しょうじん)によって、仏の教えをしっかりと受け止めることができるとしています。
 地獄に落ちるも、極楽に行くのも、自分の普段からの積み重ねがすべて。悔いの残る生きざま、死に方をしないためにも、いま、この時を大切にして歩みを進めたいものです。

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