真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

弘法大師 空海


 季節が移り変わると花が枯れて落ちてしまうように、私たちの身体も老いて、やがては朽ち果ててゆく。しかし、生きている時の思いやその心は、花の残り香がそこかしこに残るように、いつまでも忘れることはない。

 寒い季節が終わり、草花の芽がふき、そしていつか、春爛漫、百花繚乱の季節を迎えます。桜、タンポポ、ぼたん、ツツジ、目に鮮やかに、いろいろな色を楽しませてくれます。それもいつかは、花びらを一枚、また一枚落とし、朽ち果ててゆくのが生命の定め、自然の生業(なりわい)です。誰もそのいとなみを止めることはできません。与えられたいのちは、いつか必ず、終わりを迎え、生あるものは自分の身を定めにゆだねて、静かに、おだやかに終わりを受け入れるのです。
 自分のいのちが尽きても、その思いはそこかしこに生きつづけていることが信じられるのです。なぜなら、自分の祖父母や両親が亡くなった時に、私の内には、その思いや心を感じられることが確かにあったのだから……、かけがえのないあの人の魂は、肉体が朽ちても、私を支えてくれる力となっているように感じられるのです。
 可憐で美しい花の色が目に焼きつくように、芳しい香りが残り香となって、いつまでも漂うように、それよりも色濃く確かに、私の心に息づいているのです。それだけ、いっしょに時を過ごし、苦楽をともに分かち合ってきたから、決して忘れることはありません。

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