真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

南方熊楠


 南方熊楠(みなかたくまぐす)は、世界的な博物学者【粘菌学】であり、自然保護運動の先駆者とも言われています。英・仏・伊語等、数ヶ国語に精通し、記憶力も抜群、若くしてアメリカからイギリスへと渡りました。大英博物館の仕事にたずさわった頃には、科学雑誌「ネイチャー」に掲載した論文で一躍有名になりました。冒頭の言葉は、熊楠が同館で知り合って親交を深めた孫文(そんぶん)の死後に、そのさびしい心持ちを言い表したものです。
 熊楠と日本民俗学の父と言われる柳田國男との交流は、民俗学の発展に少なからぬ影響があったようです。もともと、柳田が民族学上の質問を熊楠に宛てたのが始まりで、およそ百通にも及ぶ手紙をやりとりしています。また、熊楠の死後、紀伊の白浜温泉を訪れた昭和天皇は「雨にけぶる神島を見て、紀伊の国の生みし南方熊楠を思う」と詠んで、その印象深い人柄をなつかしみました。
 専門の粘菌研究で、熊楠が新たに発見した粘菌は数多く、彼の名前が付けられた粘菌も数種類におよびます。こんなにも世界的に評価され、輝かしい実績をもつ熊楠なのに、その名前は一般には広く知られていません。むしろ、彼の奇行ぶりが紹介されたり、変人と言った評価がいつも先行していきました。
 熊楠の生涯は、うわべのみの評価に翻弄されていたのでしょうか? 彼自身はそうした風聞や人間関係をどう感じていたのでしょう? でも、そんなことはいっさいかまわず、思うことをまっすぐにやり抜いた行動力に、ただただ驚きます。そして、世間の目を気にすることなく、自らの能力を余すことなく発揮した熊楠に、底抜けの魅力を感じるのです。

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