真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

興教大師 覚鑁


  私たちが見る夢は、大きく二つに分けられます。一つは将来や人生に対して抱く「夢」と、もうひとつは睡眠中に見る「夢」です。この二つに共通することは「現実のものとなるかどうか分からない」ところ、「意識して見ることができる、できない。」ところです。
  興教大師覚鑁(かくばん)さまは、真言宗の中興(ちゅうこう)の祖と仰がれ、皆さんのお家のお仏壇や菩提寺のご本堂の奥には、必ず、真言宗の宗祖 弘法大師空海さまと共にお祀りされています。覚鑁さまは、平安時代後期、末法思想と往生信仰が盛んな時代に、強い信念と固い意志を抱いて、真言宗の大改革に取り組まれました。その夢はとてつもなく大きなもので、真言宗の僧侶として厳しい修行と研鑽が必要であると考え、慣習に流され、簡略化される法要や儀礼を徹底的に見直し、宗祖弘法大師の教えを正しく伝えるための改革を実行しました。
 しかし、これまでの慣習に慣れ親しんだ勢力から、激しい反抗にさらされて、結局は現実の大きなうねりに翻弄され、高野山を追われます。それでも、覚鑁さまはくじけることなく、夢の実現に向けて歩み続けます。そうした師僧の夢を慕う弟子たちと共に、ついに紀州(和歌山)の根来(ねごろ)の地で、その夢を見事に「うつつ【現実】」のものとします。覚鑁さまと弟子たちは、「うつつ」の中に夢を見ることを叶え、夢を現実のものとしたわけです。
 私たちは、いつの頃か、誰もが夢を抱きます。そうした夢が叶った人も、いまだに叶わぬ人も、そして、もう夢をあきらめてしまった人、それぞれがいるはずです。
 夢を抱くことは、誰にでもできます。しかし、夢は、自分が叶わないと思った瞬間に、この手の中から逃げてしまいます。それほど、夢はこわれやすく、はかなく、幻のようなものです。でも、この現実世界で、夢が叶うことを信じ続け、醒(さ)めた目で物事の本質を見つめて、夢の実現に向かい、懸命に進む限りにおいて、夢は現実に見ることができる可能性を持ち続けるのです。

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