真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

宮沢賢治


 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」で、賢治が表現している世界では、ひたすらに、この世の中と、すべての人々の至福を祈り、そのために自らのすべてを捧げようとする人間観が息づいています。
 しかし、そうした利他(りた)【他人のためだけに生きる】の心を実行しようという決意に至るまでには、どれほどの苦しみや悲しみをかみ締めたのでしょうか? 善かれと思ったことが他人を傷つける、真意がくみ取られないまま誤解を招く、自分が理解されないもどかしさほど、辛く切ないものはありません。
 三十六歳の若さで逝去した宮沢賢治が遺した詩・童話・論文に触れた誰もが、賢治の感性の鋭さ、情緒の激しさを実感するでしょう。ただ、その研ぎ澄まされた感受性に培われた理想は、彼をとりまく人間関係や現実とのギャップに、いつも苦しみ、ゆれ動いていたのではないでしょうか。  
 こうした心の苦渋(くじゅう)のありさまは、自らが「詩集」と呼ばずに「心象スケッチ」とした『春と修羅』に、そのままつづられています。自分を孤独へと追いつめるこの世界を、それでも愛しつづけ、彼が信じて描きつづけた理想を、実現させることに命を燃やし尽くした賢治。春の穏やかな陽ざしには、賢治の激しくて切なる願いが込められている気がしてなりません。

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