真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

太宰治


 最近、「お腹から笑う」ことはありますか? 思いっきり、何か感情を表すことがあるでしょうか?けんめいに何かに取り組んでいる人が居て、その行為をじっと見つめていると、その人の想いが我が事のように感じられて、心が熱くなることがありますか? また、自分に向けられた想いや、そそがれている愛情を見逃すことなく、気づいて受け止めていますか?
 「ボランティア」とか「奉仕」と言った言葉に、私たちが敏感になるのは、喜怒哀楽が豊かな生活から、かけ離れてしまっているからかも知れません。それは、他人の痛みや苦しみをそのまま実感できなかったり、反射的に感情を表現する感覚が、鈍くなっているからとも考えられます。他人の痛みを我が事のように感じられる、まわりの目を気にしないで心をあらわにする。それが、私たちの感性や心を豊かに広げてくれるのではないでしょうか。
 人のために何かをする。自分のためになることをする。そうした想いを乗り越えて、信じられたり、夢中になって取組める姿勢や意思を、ぜひ、身に付けたいものです。時は流れ、自分の感覚はどんどん色あせてゆくのに、何をそんなにもったいぶる必要があるのでしょう。自分が感じて、考えて、そのままに行動することこそが、事の良し悪しでなく、自分らしいと言うことなのだと思うのです。

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