真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

世阿弥


 みなさんが、疲れたり、痛んだり病気になったり、死ぬこと。そうなることは、冗談ではなく確実に保障できます。しかし、その一方で、誰もが健康で心地よい生活を送ることは、きっと保障できません。あたりまえのことですが、私たちの持つ肉体は、そういう運命にあります。
 現在の私たちは、医療技術の進歩によって「人間五十年」と言われた時代から、およそ、30年も寿命を延ばすことになりました。しかし、その延びた30年の間に、どのような人間らしい生き方、人間らしい死に方を見すえて、充実した生きざまを獲得してきたのでしょう。ひょっとしたら、この30年の寿命は、疲れ、痛み、老いに苦しむだけで、生きる望みを抱けないものとなっていないでしょうか?
 こうした苦しみと戦いながらも、生きていくことへの望みや喜びも抱いて、花を咲かせる何かを自身の中に培ってゆきたいと思うのです。生きてゆくうちに、どうにかして素晴らしいと思える瞬間を見つけたいと思わずにはいられません。老若男女を問わず、今から、自分にふさわしい、自分らしい花を人生に咲かせることを考えてみる価値があるのではないでしょうか? 老いてもなお、残り得る「花【生きがい】」は、今から、丹精込めて育まなくては、美しく咲き誇ることもままならないでしょうから……。

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