真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

西行


 平安から鎌倉の時代を生きた「僧侶歌人」西行は、俗名を佐藤義清(のりきよ)といい、鳥羽法皇のもとで、当時の武士のエリートとされる「北面(ほくめん)の武士」として活躍しました。そうした地位を捨て去って、出家(しゅっけ)した動機については、さまざまな説があります。「縁側で四歳になる娘がまとわりつくのを、縁の下へ蹴落として遁世(とんせい)した。」という話は有名です。愛娘(まなむすめ)の可愛らしい笑顔に、幸せを求めようとせずに、名も知らぬ多くの人々の幸せを求めて出家したという説話(せつわ)には、この歌人の「凄み」を感じてしまいます。
 私たちは、さしぐむ日差しや吹く風に、季節の移り変わり、時の流れを実感することがよくあります。それは、もう、戻ることのできない、自然の流れの速さに、驚き気がつく時でもあるわけです。それまで、流れの中にありながら、自分の姿、その心のありように、まったく無頓着である自分が、何ともあわれな姿となっていないでしょうか。そうした私たちのあわれな生きざまを乗せて、風が秋を知らせてくれると西行はうたっています。

 私たちの身体・心・いのちは、どんどん変わっていきます。それは好むと好まざるとに関わらず、何をしなくても、自然そのままに流れていきます。「自分の性格はこうだ。」「こういう考えだ。」という思い込みは、あなた自身の変化、成長を妨げてはいないでしょうか?「変わらない自分」と「変わっていく自分」、どちらが良いという選択ではなく、「一生」という限られた時間の中で、刻々と変化していく、ありのままの自分を見つめられる澄んだ目を持っていたいのです。この澄み渡る秋の空のように……。

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