真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.41

 お盆にお迎えする亡き人の魂、ご先祖さまの精霊。いつもはお墓に眠っている故人の魂を、かつて住んでいた家に帰ってきてもらう。1年に1回、家で手厚くもてなす。精霊棚を飾り、お墓参りして、持参した提灯にロウソクの灯をともし、家まで亡き人の魂といっしょに連れ歩く。玄関に迎え火を焚いて、今は仏さまの世界で暮らす故人をかつて一緒に住んでいたわが家にお迎えします。
 竹とホオズキで飾った精霊棚には、旬のものをお供えします。季節の野菜、そうめんやおはぎをお供えする家庭もあります。お盆中にお檀家さんの精霊棚をお参りすると、その家の亡き人とのかかわりがヒシヒシと伝わってきます。今は亡き人、目には見えない、手には触れられない、でも亡き人が生きているかのように優しい心持ちで、おもてなしをするお盆。この季節は日本人の心のぬくもりと感性の豊かさが、この街のそこかしこにいっぱいあふれています。

 
 亡き人の魂と語り合う瞬間が、きちんと四季折々の年中行事に組み込まれている民族は他にありません。お盆がどんなに素晴らしいものなのか、私たちは子や孫たちにもっと伝えてゆかなければと思うのです。このいのちを生んでくれたこと、こうして育ててくれたこと。家族だけでなく、今いのちあるこの身が、目に見えない無数の生きとし生けるいのちの上に成り立っていること。そう思い至ると、私たちは自分を支えてくれたいのちに「おかげさまで」とか「ありがとう」
と口にしたくなるのです。
 今の自分がこうして生きていることを振り返る時、この世でいのちあるもの、あの世のご先祖さまや多くの精霊のお陰だと思い至るはずです。自分だけでは今あるいのちを支えていけない、至らない自分を気づかせてくれるのが、もともと家の中心にあったお仏壇を拝んできたからです。そして、これまで私たち日本人は、お仏壇に手を合わせ、皆の無事を祈り、無事であれば感謝してきました。


 
 自分だけ良ければって、ついつい考えてしまう。それが今の世の中のありのままでしょう。これだけ人の欲をかき立て、商品を消費させようとする社会に暮らしていれば、誰だって心地よいもの、便利で快適な生活に流されてゆきます。でも、快楽を求め、知らず知らず「自分が良ければそれでいいんじゃないか」って思いが当たり前になってしまいます。人とのかかわりがわずらわしい、内々で済ましたい。そんな思いが積み重なれば、ご縁も絆も薄い孤独で無縁な社会の輪が拡がります。
 お仏壇の仏さま、菩提寺のご本尊さまは、私たちがかり立てられ、ヒートアップする心をやさしく包み込んでたしなめてくれます。目に見えないもの手に触れられないものの存在を感じる心を養う。亡き人をご供養する。自分を支えてくれる存在に感謝する。回向の意味は、巡り巡って自分の心が養われること。亡き人へのご供養が、いつかあなたの心を豊かにし、救われるのです。

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