真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.42

 仏さまに祈る。あなたはどんな時、仏さまに祈りますか? 願い事を叶えたい時。そして、亡くなられた人のご冥福を祈る。祈りは、今いのちある人が願いを叶えたい時、また亡き人の冥福を祈る時に捧げられます。私たちはそうした想いが切実であればあるほど、一心不乱に祈りをくり返して、敬虔で純粋な心でいっぱいになります。祈りは、この身を支えてくれるすべてのいのちあるものに向かいます。生きとし生けるものすべてに、自分を支えてくれる感謝の念を切実に感じ、無事をひたすら祈るのです。
 自分を支えてくれるすべてのいのち、つまり生きとし生けるものを仏教では衆生と言います。それはこの大自然、この世の中、もっと大きな拡がりの中……宇宙に息づく生命エネルギーすべてに及びます。それを仏教では“ホトケ”と名付けました。そして、この宇宙にある生命力すべてを仏さまのお姿として顕わにしたものが、真言宗の教主・大日如来です。

 祈る心と感謝の念。これが日本人の心を豊かにして、感性を鋭くしてきました。自分だけでは生きられない。周りの支えがあって生かされている。だから、私たちは仏さまに祈ってきたのです。周りに支えられて、無事にいのちを全うできることに感謝し、
支えてくれた周りの無事を祈る。それが仏教で説く慈悲の心です。吉祥院で皆さんがお唱えするお経「勤行聖典」の最後の文句、普回向の精神です。仏さまに祈る。ただ一心にくり返し、無事を祈り、無事に感謝する。そうしてくり返し続けると、いつかきっと気がつくことがあります。さて、いったい何に気づくのでしょう?
 自分の内に仏さまがいると気づきます。自分の中に眠る仏さまが息づく瞬間がわかります。「あっ、いま何かを感じた!」その瞬間に巡り合います。これは嘘でもまやかしでもありません。祈り続ければ、あなたの中の仏が目覚め、気づかされます。それはどういうことなのでしょう?

 仏さまに成れる?あなたの内に眠る仏とは、あなたの可能性のことです。仏教は人が誰でも持っている可能性、それを仏と呼んだのです。仏教は「あきらめない」「くじけない」「投げ出さない」「逃げ出さない」教え、人間の可能性をどこまでも信じ切るのです。仏さまに祈る。それをくり返すと、あなたの中の可能性という仏と出会える。つまり、あなたを支えてくれるいのちすべてが仏であり、あなたの中に眠る可能性も仏となります。だから、あなたが仏さまに祈れば、仏さまと出会えるのです。
 あなたは何も恐れることはありません。あなたの可能性は仏、その可能性が実現すれば、あなたは仏に成る。怒ったり、嘆いたり不安にはなりません。心は落ち着き、静かで安らかになるのです。
 

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