風信(かぜのたより)No.47
信じる者は救われると思いますか?信じられれば救われる。でもまわりを見わたしてみると、多くの人が苦しんだり、辛い思いを抱えている。これだけ多くの人が救われていないのなら、信じても救われないだろう、そう思いたくもなります。でも、この問いかけは、救われるか、救われないかが問題ではありません。「救われるかどうか」よりも「信じられるかどうか」が問われているのです。
「自信を持って事にのぞむ」っていいますね。この自信って何なのでしょう? いま、あなたは自信がありますか? 自信とは「自分を信じる」ってこと。でも自分を信じるって難しいですよね。何をするにも自信なさ気に取り組めば、きっと上手くはいかないでしょう。自信を持つには、それだけの訓練や経験をくり返し積まないと上手く行きません。何度もくり返して習得するから、間違えない、失敗しない。自信になる。自分を信じるには、プロセスが必ずあるはずです。
くり返し積み重ねるのも案外、大変ですよね。毎日仕事に通う。日常を習慣化する。口で言うのは簡単ですが、なかなか難しいでしょう。多くの人が同じ暮らしをくり返す。でもそれが延々と続く
と人はその歪みがだんだん溜まります。癒されなくなり、追いつめられ、息苦しくなる。うつ病などに苦しんだり、自死者が多いのも現代社会の特徴、社会自体が病理に蝕まれてます。
学校や会社に毎日通えなくなったり、一日三食食べられない、眠れなくなる。でも、この社会自体が病に蝕まれていては、それも当たり前でしょう。ピュアだったり、マジメな人ほど、みんなと同じにしなくちゃあ……と自分で自分を追い込んでゆく。できないこと、話せないこと、ささいなことでも気に病んでしまう。私たちが創ってきたこの社会が、多くの人に苦をもたらしている……
一人じゃ生きられないのは誰でも分かっています。でも個性とか自己決定とか言われると「自分が頑張らなくちゃあ……」と思い込んじゃう。しかし、現実はそう上手くはいきません。誰かに頼り、誰かに頼られ、みんなで力を合わせ、支え合わないと生きる力は育めません。東日本大震災以降に絆とかご縁という言葉が身に沁みたのも、この現代社会に失われつつある人と人との関係性をあらためて考えさせられたからです。心を通わせる。自分だけで解決しようとせず、周りに救いを求めてゆく。これ無しに私たちは生きられないはずです。
そして……一人ではできない、至らない自分に力をもたらしてくれるもの。これは今も昔も変わりません。カミ・ホトケに祈ること。今は亡き人の冥福を祈り、今いのちある人の願いが叶うように祈る。
あきらめたら、その時点で可能性は尽きてしまいます。いつか必ず仏さまが救いの手を差し伸べ、力を与えてくれる。そう信じて仏さまに祈り続ける限り、可能性はずっとずっと続くのです。