真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.52

 信じられるものがありますか? あなたには信じられる人がいますか? あなたが生きてゆく時に支えとなり、より所となるものはありますか? 別にそんなものなくても生きて行ける。自分より他に頼れるものなんかない。他人に頼って生きたら自分らしく生きられない。もちろん色々な考えがあるでしょう。でも、信じられるのは自分だけ、頼らなくても生きて行けるって、それは本当でしょうか? 人が生きてゆく時に、誰にも頼らないで生きて行くことなんてできないと思うのですが……。
 あなたは自分でも知らないうちに、さまざまな存在によって生かされているはずです。目に見えない存在が、あなたのことを支えてくれています。ご両親や兄弟、ご家族、友人、食物、空気、自然など挙げればきりがありません。多くの存在に活かされている。その存在に感謝する、自分一人では生きられないことに思い至る時があれば、その時のあなたの心持ちはどれだけやさしいものとなるのでしょう。
 宗教を信じること。それに関わる出来事が数十年に渡ってニュースになってきました。イスラム国だったり、オウム真理教だったり、さまざまにメディアに取り上げられています。世界各地で起こる自爆テロのニュースは毎日のように耳にします。自ら死を選んででも異を唱えるものを傷つける。私たちから見れば正気の沙汰とは思えません。だから宗教は怖いとか、何するか分からない、なんて見方もされるのです。オウム真理教も同じように自分たちの願いを成就するためには、他人を殺めても構わないと思い込んで数々の凄惨な事件が起こりました。
 人を幸せにするのが宗教なのに……。そんな嘆きがニュースの端々に感じられます。でも世界中にこれほど多くの人たちが宗教に救いを求め、祈りを捧げ、その教えを支えとして日々の暮らしを営んでいます。そうした日常はニュースに取り上げられないから、自爆テロとか宗教戦争が耳に残るのでしょうね。
 宗教とは本来、何のためにあるのでしょう。人が暮らしやすくなるよう自分を律して戒め、自分を見つめ直す。欲や執着を少しでも遠ざける。そしてそれは人と人との関係に、いさかいや妬みや恨みを抱かないように予防するためとも考えられます。そして自分を支えてくれる存在に感謝できる。それが宗教の優れたところです。
しかし、宗教を信じるあまり、それが過ぎると盲信とか迷信ということになります。仏教は正しく物事を見つめる。現実をしっかりと見極める教えです。お釈迦さまが説かれた「中道」は、極端にかたよってしまう人の性質を戒めます。快楽主義でもなく、禁欲主義でもない。グルメブームにも健康ブームにもかたよらない。バランスよく程よくいい塩梅(あんばい)を目指します。
 

風信(かぜのたより)一覧