真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.57

 新しい年を迎えて、華やかで嬉しい気分になって、この1年の無事と願い事が叶うように祈ります。年が改まると、何でそんなにおめでたいのでしょう? 年が新しくなって初物を食べたり身に付けたりする。縁起が良い。そして何よりも日本人は、古くから新年を迎えて、新しい魂をいただくから「ありがたい」「おめでたい」と感じてきたようです。1年という歳月の間には、この内にある魂がどんどんすり減ってゆく。年末にはすり切れてしまう。だから年が改まり新しくなると、新しい魂をどこかから頂戴する。それがカミ・ホトケからだったり、初日の出だったりするのでしょうね。
 初詣にはこの1年の願い事を祈るだけでなく、新しい魂をいただくという意味合いも含まれています。お年玉の「玉」はもともと「たましい」の「魂」だという説もありますし、お雑煮のお餅が地域によってまるいかたちなのは、お餅を魂に見立てていただくということだそうです。
 新年は心も嬉しくなります。だから周りの人たちとも「おめでとう」って言葉をかわします。この際だから、いつもよりも多くの人に「おめでとう」って声をかけてみましょうか。普段はなかなかあいさつしない間柄でも、ご近所や顔見知りにお正月は「おめでとうございます」って声をかければ、相手もにこやかに「おめでとうございます」と返礼してくれるかも知れません。新しい年を迎えて、魂も新たになったのだから、新しくなった魂のパワーをちょっと発揮してみるのも善いかも知れません。
 ハッピーバレンタイン、ハロウィン、クリスマス。欧米の慣習もいいけど、でも若い世代が騒いでいるだけ、何か疎外感を感じている人も多いでしょう。そんな「ハッピー○○〇」と同じように、いや、もっと多くの老若男女の日本人が一緒に分かち合える感覚。「明けましておめでとうございます」と華やいだ気持ちで声をかけてみてはいかがでしょう。
 みんな一緒に行こう! これが仏教の基本となるスタンスです。自分だけが楽しみにふけっていては喜びも、まあ、そこそこのものでしょう。「楽しみに喜ばず。楽しみの果てにこそ喜ぶもの……」を真言宗では大楽といいます。大いなる楽しみは、みんなが救われて楽しみを感じる時。楽しみを共感してこそ、楽しみは何倍にも拡がるものです。よく知られている般若心経の最後には「みんなで彼岸(仏の悟りの世界)へ行こう!」と呼びかけます。そして『勤行聖典』の最後には普回向として「願わくはこの功徳を持って、普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に、仏道を成ぜんことを」とあります。
 ひとりでは何もできない。でも誰かがそばにいれば話を聴いてもらうことができる。家族や仲間が一緒なら勇気をくれる。今年はいつもよりもう少し心を開いて、言葉にして伝えてみましょう。ご縁や絆はちょっと面倒かも知れませんが、その何倍もあなたの中に生きる力をあふれさせてくれるはずです。
 

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