風信(かぜのたより)No.68
自らと故人との関わりは、故人の肉体は滅んでも、ずっとずっとこの内に生き続けている。何故なら、ここにこうして生きている今の自分は、そのいくらか、いや、その多くは亡き人との関わりにより、その影響があってこうしているのだから………。そんな感覚を「身は花と共に落ちれども、心は香りとなりて飛ぶ」と弘法大師空海、お大師さまは言の葉にしています。 今いのちある人と今は亡き人。今を生きていれば、時に厳しい現実がいくつも突きつけられて、大変だったり、しんどいことも確かでしょう。生きてゆくだけで精一杯と思うこともあるはずです。でも、自分のこと、目の前のことばかりに気を取られていて、それであなたは良いのですか? それで大丈夫なのでしょうか? 言い方を変えれば、そんなに刹那的な、辺りを見回すゆとりのない、自分のことしか考えられない暮らしで、自分らしい生きがいを見つけられるのでしょうか?
自らの欲すること、やりたいことがあって、楽しみに喜ぶこともいいでしょう。それが自分らしい人生、生きがいだと思うのなら自由に謳歌すればいい。でも、一年に何回かは自分自身の立っている場所からちょっと振り返って、自分の歩んできた道を確かめてみる。いまの自分の姿、等身大でありのままの自分を感じる時間も必要ではないでしょうか? 供養の誠を捧げる。年に数回は今の自分を支えてくれる存在に思いをはせて下さい。まずは今いのちあるかけがえのない存在。それと、あなたのご両親、祖父母、ご先祖さま。ふり返って、あなたがいのちを授かり、この世に生まれ、数多の存在に育まれてきたこと。亡きみ魂への感謝の念を抱く。盆と正月、春秋の彼岸。年に数回はあなたを支えてくれた、今は目に見えない存在に手を合わせて、感謝を込めて祈る。それが供養の誠を捧げることになるのです。
いつも祈っていますか? 忙しかったり、自分が精一杯だとつい忘れてしまう。だから仏事の期間を定めて忘れない。それが日本の年中行事の栞なのです。日本人は供養をくり返し重ねて、心を養ってきました。四季折々の中で心を豊かにして、感性を磨いてきました。