真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

風信(かぜのたより)No.69

 自分らしさって何でしょう?自分がもともと持っている能力を活かせるってことでしょうか? 本来の自分に、なるべき自分に成る。う~ん、「自分らしさ」とよく耳にしますが、よくよく考えると難しいですよね。自由奔放に、好き勝手に、周りを気にせずに行動する。そうすれば、自分らしさを手に入れられるかっていうと、ちょっと違う気がします。では、自分らしさとは一体、どういうことなのでしょう?
 ところで、日本人は昔から月を愛でる習慣があります。2018年11月の満月の時に「一千年の満月」と話題になった藤原道長の「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」。また、西行は「なにごとも変はりのみゆく世の中に同じかげにてすめる月かな」などと、多くの人が月の情景を詠んでいます。月の満ち欠けを自身の心のあり様と重ねることもしばしばあります。 
 
 癒しという言葉は、全体性の喪失。つまり何かが欠けているから、それを回復する、癒されたいと思うことなのだそうです。本来、成るべき自分から何かが欠けている。だから癒されたいという想いを抱く。自分の何かが足りない、仕事や人間関係に疲れて何か失われていると感じる。だから休暇して趣味を愉しんだり、旅に出たり、温泉に浸かってリラックスする。緊張する日常から非日常に自分の身を置いて心も体も伸び伸びする。それで失われた何かを回復する、自分らしさを回復するわけです。それが癒しということになるのでしょうか。月の満ち欠けに自らの心を重ね合わせる。私たちのご祖先さまも、風流にそんな自然の現象の中に自分の身を置いていたのかも知れません。漆黒の夜空にお月さまが煌々(こうこう)と輝き、漂う雲をほのかに浮かび上がらせる光景。そして、まん丸の月にウサギが餅つきしている様子をイメージする豊かな想像力……。
 

 無限の宇宙を想う瞑想が仏教にはあります。それを月輪観(がちりんかん)といいます。お月さまをイメージして、自分の心と月輪を重ね合わせ、そのお月さまをどんどん拡げて、最後は宇宙の無限を感じる瞑想です。自らの内にある、この心が無限の可能性を持っている。そのことを実感する瞑想で、あの西行法師もこの月輪観を修していたと伝えられています。
 仏教は……あきらめない、投げ出さない、逃げ出さない教えです。つまり、自分の可能性をどこまでも信じ切るのです。そして仏教では自分の可能性をホトケと呼びます。無限の可能性を抱く自分、それは成るべき自分。あなた自身の理想のモデルを仏と名づけたのです。あなたの成るべき自分、つまりあなたらしい自分をホトケと呼ぶのです。
 どこかのお寺できっと、あなたによく似たお姿のホトケと出会うことがあるかも知れませんね。
 

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