風信(かぜのたより)No.75
苦しいことやつらいことは必ず訪れます。どうしていいかわからない、途方に暮れることもきっとある。でも私たちは、何があってもいつも寄り添って、見守ってくれる存在があれば、何とか耐えしのぐことができます。だから、今この瞬間も世界中で多くの人が祈りを捧げるのです。
いつも通りにならないことが周りにいっぱい起こりましたね。2020年の2月頃から話題になった新型コロナウイルスの感染拡大と予防は、緊急事態宣言によって外出や経済活動の自粛をもたらしました。“三密にならないように……”という感染予防のキーワードは、人と人とのつながりを遠ざけ、コミュニケーションを薄め、否応なく新しいライフスタイルを始めることへと導きました。
仏事もこれまで通りにはならず、葬儀も法事も一変しました。法事を延期する、参列者を少なくする、塔婆の回向のみとするなど様々です。家族が亡くなられても通夜・葬儀を行いたくないという方もいらっしゃるほどでした。これほど感染の話題が広まればお気持ちは理解できます。でも後になって、悔いを残さぬようご供養された方がいいのでは?とも思うのです。
世間が騒がしくなるとつい心は乱れ、穏やかでなくなります。「諸行無常 一切皆苦(しょぎょうむじょう いっさいかいく)」はお釈迦さまの教えです。「今、目の前に起こる現象は常には無く、だから生きることは苦しい」という意味です。2500年前から今も状況は何も変わりません。この数年に起こった変化は、これまでにもくり返されてきたことです。数百、数千年の時間の流れの中では、ほんのけし粒のようなものだから、そんなに一喜一憂、右往左往することはないのかも知れません。でも、生活に苦しむ人、不安な方が多くいらっしゃるのも現実です。私たちは、あっ!という間の時の流れや、狭い視野の中での出来事にいつも揺れ動きます。
けれども顔を上げて、ずっと先を見つめ、視野を拡げてみませんか? あなたの周りには、あなたがいつも見逃して、忘れている絆が、幾重にもあなたを包んでいます。
仏教では“縁起”といいます。「この世に存在するものはそれ自体では存在しない。すべてつながって支え合っている」感染するのもご縁。健康でいるのもご縁。善きことも悪しきこともすべてご縁によるのです。だから、その縁起に身を染めて、私たちは仏さまに祈ります。