風信(かぜのたより)No.77
カミ・ホトケを信じる時は帰依する、仏教では帰依三宝といいます。三宝とは仏・法・僧で、仏は仏さま、法は教え、僧は仏教を信仰するグループを指します。「日本人は無宗教」とよく言われますが、それはキリスト教など西洋の世界での考え方で、一神教という一つの神を信仰する世界での話。日本や東洋では多神教、つまり多くの聖なるものを信じるかたちになります。仏教では観音さまや阿弥陀さま、お地蔵さま、色々な仏が信仰されますね。神道でも「八百万の神」と言いますが、そんなに多くの神さまが日本中でお祀りされています。
人が生きれば善いことも悪いこともあります。善いことがあれば喜び元気になり、その一方で悪いこと、災難も多く降りかかります。いつまでも元気で楽しめる保証はできませんが、老いる、病む、死ぬことは必ず保証できます。人間とはそういうものです。お釈迦さまは「諸行無常 一切皆苦」と説きました。つまり「この世のものはすべて同じままにはなく、必ず移り行く。だから生きることは苦しい」というのです。何とも重苦しくしんどいですね。
でも、そんなふうに現実をしっかりと見つめて、歩む先に必ず訪れる災厄や困難に立ち向かわなければなりません。自分の行く手をさえぎるものは自分の力で何とかしなくては……。
そうは言っても、私の力で全部、乗り越えられるはずもありません。どんなに頑張っても、いつもパワー全開で挑めるわけもなく、力及ばず、力尽きることがこれからもいくらでもあるでしょう。
自分に力及ばないことがあるとわかっていれば、何かを信じようと思えるものです。誰かに頼る、誰かの力を借りようとすればひとり孤独に歩まなくても大丈夫です。でも至らない自分にはなかなか気づきません。時には歩みを止めて、深呼吸してみましょう。誰かの助けがあるから、人はどんな災害からも立ち上がり、少しずつ生きる力を育んできました。人と人とのご縁や絆が、いっぱいの勇気とパワーをもたらすのです。そしてその陰には、目には見えない、数えきれない祈りや信じる心が積み重ねられてきました。
私たちは、神や仏に「今日も無事でありますように」「一日無事でありがとう」って、祈る心と感謝の念を毎日一心にくり返してきました。その数多の想いが、人の生きる力を生み、育んでいくのです。天災は忘れたころにやって来る。祈りと感謝が日々続けば、きっと忘れることはありません。