真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む六. 般若心経   その2

 それでは次に六波羅蜜多について概説しておきます。
 ①布施波羅蜜多布施とは「与えること」という意味です。梵語ではダーナといいます。このダーナの音を漢字で表記すると檀那となります。この檀那は布施の意味を離れて、今でも日本語の中に定着しています。
 古代インドでは仏教のみならず、すべての宗教で布施を宗教行為として大事にしていました。農業などの生産活動をしない仏教の修行僧は、信者から食べ物などを布施してもらうことで修行に専念できました。布施をすると死後に神々の世界【天】に生まれると信じられたので、信者はさかんに布施を行います。今でもミャンマーなどの東南アジアの仏教僧が早朝に並んで歩き、そこに信者が食べ物を捧げる光景をテレビでもしばしば眼にします。
 在家の信者が修行僧に布施するものは食物・寝具・座具・薬などです。これらは修行僧が修行生活をする時に欠かせないものばかりです。お金を布施することは、後に貨幣経済の発達にともなって広まりました。
 僧侶が行なう大事な布施は法施(ほうせ)です。法を布施するということです。ここでいう法は仏の教えのことです。僧侶は信者の方々に仏の教えを布施することが求められているのです。法要の際に信者の方々の前でお経をお唱えします。それも法施です。また法話あるいはお説教が行われるのも法施です。
 以上のほかに、さまざまな布施が仏教では取り上げられています。その中でも最も大事な布施は無畏施(むいせ)でしょう。無畏とは不安のない心です。無畏を施すとは、不安の心を取り除くということです。まさしく仏教は人々の心の中の不安を取り除くことが最も大事となります。困っている人に優しい言葉をかけることも無畏施といえるでしょう。
 さて布施が般若経で説く空思想の実践とどのように結びつくのでしょうか。そのためには「与えること」を仏教がどのようにとらえていたのかを理解する必要があります。その一例として三輪清浄(さんりんしょうじょう)という考えがあります。三輪とは布施する人【施者(せしゃ)】・布施する物【施物(せもつ)】・布施を受ける者【受者(じゅしゃ)】の三つの関係をいいます。施者と受者と施物が、どれも自己中心的なこだわり、たとえば「私があの人に物をあげた」といった思いを抱くことがない状態を清浄とするのです。
 私はこの典型を母親と赤ちゃんとおっぱいの関係であろうと思っています。母親は我が子の満足のためにおっぱいをあげます。赤ちゃんの満足が自分を幸せにします。赤ちゃんも無心に母親の乳房をくわえておっぱいを飲み込みます。誰からもらうのか、もらったらどうなるのかといった煩(わずら)いは一切なく、ただ無心に飲みます。母親から赤ちゃんに、おっぱいというとても大事な命の糧が渡されます。これは施物です。ここでは施者も受者も施物も、どこにもこだわり、妨(さまた)げがありません。これを三輪清浄といいます。そして、この清浄のことを空(くう)といいます。
このようにこだわりのない布施は『般若経』が説く空の思想の最も基本となる実践です。

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