真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む六. 般若心経   その21

 無苦集滅道とは四聖諦(ししょうたい)という釈尊の説法したダルマ(法)についての考察です。四聖諦とは「聖者によって示された四つの人生の現実」という意味です。「諦」を「真理」と解釈する解説書が多いですが、「諦」は「現実」「真実」「実態」といった意味です。さて、この四聖諦こそ釈尊の教えのもっとも大事なものとされ、大乗仏教が起こる前には、この四聖諦を中心に修行の方法が組み立てられました。その四聖諦が苦集滅道(くじゅうめつどう)です。とは「思い通りにならない」という意味です。誰もが生まれを選ぶことはできません。また病気になりたくないのに患います。そして、老いて死ぬことも願っていませんが、老いも死も必然で、思い通りにはなりません。この生老病死は代表的な苦なので、それを四苦といいます。
 また愛する者と別れることも思い通りになりません、これを愛別離苦(あいべつりく)といいます。また嫌な人と出会うことも思い通りになりません。これを怨憎会苦(おんぞうえく)といいます。また欲しいものを手に入れることも思い通りになりません、これを求不得苦(ぐふとっく)といいます。総じて私たちの心身の活動は思い通りになりません、これを五蘊盛苦(ごうんじょうく)といいます。これらを四苦とまとめて都合八つになるので八苦といい、四苦八苦という言い方がされるようになりました。
 
 さて、このには原因があります。それを(じゅ)といいます。とは煩悩が集合していることで、それらがを生み出す原因と考えられます。次のとは煩悩を滅しきって苦がなくなった状態のことです。煩悩を滅しきると輪廻における生死をくり返すことがなくなり、生死という苦から解放されます。この解放を解脱といいます。解脱すれば心が安らぎ静寂になります。その状態を涅槃(ねはん)といいます。この状態になった者を阿羅漢(あらかん)といいます。大乗仏教が成立するまでは、阿羅漢になることが修行の理想とされました。
 この滅に至るには原因があります。それは修行のです。はさまざまに説かれますが、八正道(はっしょうどう)がその代表的なものです。八正道とは次の八つです。

①正見(しょうけん) 釈尊の教えに基づく正しい物事の見方・見解
②正思(しょうし) 正しい考え方
③正語  正しい言葉づかい
④正業(しょうごう) 正しい行い
⑤正命(しょうみょう) 正しい生活
⑥正精進 正しい努力
⑦正念 正しい心のおきどころを定めること
⑧正定(しょうじょう) 正しい瞑想による精神集中


 これらはさらに細かく分類され、修行の心得として重視されました。これらのを原因として解脱(げだつ)=涅槃というに至るのです。ここに私たちの日常生活の実現としての苦集と、修行の実際としての滅道が示され、これを四聖諦といいます。この苦集滅道も釈尊が説いたダルマ(法)なのですから、五蘊と同じように「空である状態」で、実在しません。それゆえ四聖諦のそれぞれのダルマ(法)のが説かれるのです。ここでも修行僧が釈尊の示された四聖諦のダルマ(法)にとらわれ、言葉に執着して、釈尊の示そうとした真実を見失うことを批判する、この経典の立場が示されています。
 

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