真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む一. 懺悔文   その2

我(われ)昔(むかし)より造(つく)る所の諸々(もろもろ)の悪業(あくごう)は 
皆な無始(むし)の貪瞋癡(とんじん ち)に由(よ)る 
身語意(しんごい)従(よ)り生ずる所なり 
一切(いっさい)我(われ)今(いま)皆(みな)懺悔(さんげ)したてまつる

 これは『華厳経』の中の一節です。この一節が説かれる趣旨を要約すると、以下のようになります。

 あらゆる十方の世界において衆生を導かれる仏に対して、私は身語意を清らかにし、限りない敬礼(きょうれい)を尽くします。大乗仏教の利他の精神を体現する偉大な力を崇(あが)め、その救いの力が現れ出ているすべての仏の前で低頭し、敬礼を尽くします。
 このような十方の世界に在(い)ます限りない仏陀に、私の無限の過去からの罪過を告白し、自分を清らかにする祈りとしての懺悔であることを心得ておくべきでしょう。

 まず「我昔より」ということで無限の過去からの自分を反省します。輪廻の世界で生死をくり返してきた自分は過去世にも現在世にも数え切れないほどの悪業(あくごう)を積み重ねてきています。悪業とは仏との出会いを妨げる行いで、修行を妨げる行為です。多くの悪業がありますが、そのうち特に慎まなければならない十悪業(じゅうあくごう)を記しておきます。

①殺生(せっしょう)-むやみに生きものを傷つけたり殺すこと
②偸盗(ちゅうとう)-他人の財物を盗むこと
③邪淫(じゃいん)-みだらな男女関係
④妄語(もうご)-嘘、偽りを話すこと
⑤綺語(きご)-無意味で、飾りたてただけの言葉、でまかせの言葉を話すこと
⑥悪口(あっく)-他人を悩ませる粗野な言葉を話すこと
⑦両舌(りょうぜつ)-他人を非難する言葉、仲を悪くさせる言葉、二枚舌を話すこと
⑧慳貪(けんどん)-物惜しみをして他人には与えず、自分だけ貪(むさぼ)り求める心
⑨瞋恚(しんに)-怒りや憎しみの心
⑩邪見(じゃけん)-仏が教える因果の道理を信じないよこしまな考え

 このような行為は釈尊によって厳しく戒められました。これらの行為をしないことを心に誓わねばなりません。そして、これらの行為を慎(つつし)むことは善業とされました。それは十(じゅう)善業道(ぜんごうどう)あるいは十善戒といいます。それについては後に詳しく述べることにします。

 さてこれらの悪業は三つに分類されます。①殺生②偸盗③邪淫の三つは身体を通じた行為です。④妄語⑤綺語⑥悪口⑦両舌は言葉づかいに関するものです。⑧慳貪⑨瞋恚⑩邪見は心の働きに関するものです。すなわち身体活動と言語活動と精神活動とに区分されます。それらをそれぞれ身業・語業・意業、まとめて三業といいます。私たちの活動はすべて三業となって現れています。この三業(さんごう)をコントロールし、清らかな生活をすることが仏教徒にとって最も大事なことです。

 しかし、悪業を犯さない人はいません。ましてや過去にも行わず、今も行わない人はいません。むしろさかんに悪業を犯しているのが普通の人間ではないでしょうか。それゆえ、全ての人にとって悪業を生み出す根本に立ち返って自分を見つめなおし、反省をすることが求められるのです。それが懺悔の意義です。そして悪業の原因はすべて煩悩(ぼんのう)にあることをしっかりと見つめることが大事です。

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