真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む二. 三帰礼文   その6

 自(みずか)ら僧(そう)に帰依(きえ)したてまつる。当(まさ)に願(ねが)わくは衆生(しゅじょう)と共に、大衆(だいしゅう)を統理(とうり)して一切無礙(いっさいむげ)ならん

 ここでは僧宝への帰依が唱えられます。「僧」は、先ほど述べましたように「僧伽」のことで、修行の仲間、団体、教団を意味します。一人の僧侶をいうのではありません。僧宝がいかに大事であるかについては先に述べたとおりです。私たちは孤独に仏の教えを受け止めるのではなく、修行の仲間とともにいます。仲間がいなければ自分の思いが独善的になるかもしれません。自分勝手な思い込みをなくし、すぐれた指導者から教えを聞き、そしてまた自分も後進のために力を尽くすことが大事です。そのためには「大衆を統理」する思いが必要です。自分が仲間の中でかけがえのない一員となるように努力しなければなりません。そうすれば修行の妨げはなくなり、仏の教えに素直に従うことができます。
 信心を同じくする仲間を大事にし、修行の妨げがないことを願うのが「大衆を統理して一切無礙ならん」ということです。
 以上で三帰礼文の意味を説明しました。いかに三宝帰依が仏教徒にとって大事であるかをご理解していただけたでしょうか。この三宝帰依を深く受けとめた弘法大師が遺(のこ)された詩を紹介しましょう。
 後夜(ごや)に仏法僧鳥(ぶっぽうそうちょう)を聞く
 閑林(かんりん)に独(どく)坐(ざ)す 草堂(そうどう)の曉(あかつき) 三宝の声 一鳥(いっちょう)に聞く
 一鳥声あり 人(ひと)心(こころ)あり 声(こえ)心(こころ)雲水(うんすい) 倶(とも)に了了(りょうりょう)
 この素晴らしい詩を、私なりに解釈すると次のようになります。
 一人静まりかえった林の中で修行をし瞑想に入っていた。夜明け間近の粗末な草葺(くさぶ)きの庵の中は空気も爽やかで静寂に包まれていた。するとブッポウソウ(仏法僧)と啼(な)く鳥の声がしてきた。この鳥の声は仏の教えを説いているようである(法宝)。そして、その声を聞く人である私には仏の心が宿っている(仏宝)。修行する私にとってのかけがえのない環境の中で、明け方近くの雲はかすかに明るみ、水の色も爽やかに輝き始める(僧宝)。鳥も人も、そして雲の明るみも水の輝きも、すべてが渾然一体(こんぜんいったい)となって仏の悟りの境界になっている。この全世界はすべて三宝の現れとなっている。
 世間の喧噪(けんそう)を離れ、清貧(せいひん)に徹し、粗末な住処を修行の場所として瞑想する弘法大師は、それでも孤独ではなかったのです。すべてが仏の世界として現れているのですから、どこにも仏法僧の三宝はあるのです。その有り難さを静かに心に受けとめる弘法大師に修行の理想の姿を見る思いになります。
つづく

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