真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む四. 発菩提心 三昧耶戒の真言   その5

 大悲を持つ仏は衆生を救おうとする強い意志を懐(いだ)きます。また先ほど述べたように、すべては大日如来の現れですから、すべての仏【如来】、菩薩、明王、天は衆生を救う誓いを秘めています。その救いの誓いを②「本誓」といいます。
 この三昧耶という救いの誓いの意味を形で表したのが三昧耶形(さまやぎょう)といわれる仏・菩薩・明王・天の持ち物です。例えば薬師如来は掌に薬壺を持っています【例外もある】。これは薬師如来が病気の衆生を救う本誓(ほんぜい)を表しています。また不動明王は右手に剣、左手に羅索(けんさく)という綱を持っています。これは迷える衆生を綱でとらえ、その煩悩を鋭い剣で断ち切るという救いの本誓を表しています。この剣は仏の智慧の象徴とされます。また吉祥天は右手に宝棒という武器を持ち、左手に宝塔という仏塔を掲げています。これは仏敵をこらしめ、仏の世界を守護して衆生に救いをもたらすことを象徴しています。このように本誓である救いの働きを象徴する持ち物を三昧耶形といいます。
 この救いの働きによって衆生が仏と出会い、仏道を歩む際の障害を取り除くことを③除障といいます。ところが衆生は深く煩悩の中に取り込まれているので、このような救いの働きに気づきません。気づきがないことを長い眠りに譬えます。衆生は長い眠りに陥っているので、救いの働きに気づかせるために仏は衆生を目覚めさせようとします。それを④警覚といいます。
このように三昧耶には①平等②本誓③除障④警覚の意味があるとされています。このことを深く受けとめるために三昧耶戒の真言を唱えます。すなわち発菩提心の後には自分と衆生と仏が一体であることを固く信じ、どのような苦難に出会っても救いをもたらす仏の教えを決して捨てないことを強く誓い、心を戒めるのが三昧耶戒なのです。この真言密教特有の信心のあり方を確固とするために、その真言が唱えられます。

 冒頭の「オン」についてはすでに発菩提心真言の項で説明しました。次の「サンマヤサトバン」については、梵語研究の中で今までにさまざまな解釈がされてきました。ここではその学問的な解釈について述べることは控えておきます。しかし、いずれにせよ私と衆生と仏とが一体(平等)であることを固く心にとどめることが、この真言を唱える時の心得でしょう。
 

仏のことばを読む一覧