真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む五. 開経文   その3

 それでは「持」すなわち「保つ」とはどのようなことをいうのでしょうか。それは端的にいうと「記憶する」ということです。教えを自分の心に保ち続けるには、その教えを「記憶」しなければなりません。そのことをここでは示しています。
 先に述べたように、仏教では最初は経典を文字に記さず、修行僧たちは記憶し、それを弟子たちに口頭で伝えていました。弟子も聞いた経典をくり返し唱えて記憶したのです。それを「受持(じゅじ)」といいます。
 ところが、次第に経典を文字に書き記すようになりました。当時はまだ紙がありませんでしたから、乾燥させて適当な長方形に加工した椰子(やし)の葉などに書き記しました。そこで経典を読んで唱えるという祈りの形式ができあがりました。それを「読誦(どくじゅ)」といいます。
 このような伝統は連綿(れんめん)と続きましたが、大乗仏教が起こると、さらに経典の意義について説かれるようになりました。大乗仏教が起こった頃には、盛んに経典を文字で記していましたが、新たに起こった教えを多くの人々に広めるためには、くり返しそれを書き写さなければなりません。そして、その教えを解説しなければなりません。したがって、大乗仏教では経典の書写と解説も功徳があると勧められました。多くの人々が精進して書写し、解説をし続けたからこそ、今日まで尊い仏の教えが伝承されてきたのです。
 まさにそのような伝承の末端に私たちはいます。そして、有り難くも経典を眼にし、聞くことができたのです。ですから自らそれを受持し、読誦することが大事なのです。さらに大乗仏教徒としては書写・解説も重要です。
 そして経典と出会い、受持•読誦をするのは、すべて究極には、仏が言葉で説いたその意味をしっかりと理解することにあります。先ほどの譬えでいうなら、月を指されたので、指先ではなく美しい満月をしっかりと見つめることが大事なのです。言い尽くせない仏〈如来〉の真実を、言葉を通じて体験的に知ろうとする強い意志が「如来の真実義を解せん」という願いに込められているのです。
 そして、如来が教えようとする真実の意味を体得するために、ここでは『般若心経』を読誦するのです。

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