真言宗智山派吉祥院珍珠山

仏教コラム

仏のことばを読む六. 般若心経   その9

 経題の仏説摩訶般若被羅蜜多心経のうち、仏説についてはすでに述べておきました。次の摩訶とは「偉大な」という意味です。今でも「摩訶不思議」などと言いますが、その場合の「摩訶」も「大きな」という意味で、梵語のマハーの音を漢字にしたものです。
 般若波羅蜜多とは「智慧の完成」あるいは「最高の智慧」という意味です。般若とは修行者が釈尊の教えに基づいて瞑想する際にさまざまに教えを考察し、また、ある―つの事柄に精神を集中して分析する智慧のことです。その修行の智慧が完成すると仏陀になります。言い換えれば、智慧の完成によって仏陀に成ると考えられていました。
 波羅蜜多は伝統的に「到彼岸(とうひがん)」と理解されていました。悟りの彼岸に到達したという意味です。ここではそれを「完成」としております。どちらの解釈でも構わないのですが、現代の仏教研究では梵語の原語分析により「完成」と理解するのが一般的です。
 次のについての解釈はとても難しいのです。この原語は普通には肉体としての心臓を意味し、「肉団心(にくだんしん)」などと漢訳されることもあります。そして、心臓は古代医学では生命の根本とされましたので、心臓という意味だけでなく「核心」「エッセンス」といった意味を考えるようになりました。さらに、ここでのを般若経のエッセンス、核心といった意味であると解釈するようになりました。そして、先にも述べたように『大般若経』の核心を説いたので、という語が付け加えられていると理解されました。しかし、今日の研究ではそれを確認できません。むしろ『摩訶般若波羅蜜経』という経典の書き写し部分が多く、しかも最後に他の大乗経典としての般若経では見られない真言が付加され、その効能を称賛しています。そのことと関連させると、弘法大師が解釈したように、ここでのは真言に関連させたほうがよいと思われます。真言宗には「心真言(しんしんごん)」という考えがあります。それは心臓には最も本質を言い表す真言が秘められており、それがそれぞれの仏や菩薩などの心真言と言われるのです。弘法大師はこの『般若心経』のの一文字を大般若菩薩の心真言の意味であると解釈しています。すなわち「大般若菩薩の悟りの境界である偉大な般若波羅蜜多という真言を説く経典」ということになります。まさしくこの経典の末尾に「般若波羅蜜多は偉大な真言である」と説くことに符号します。このような解釈は他の宗派の中には存在しません。まさしく弘法大師のみが慧眼(慧眼)をもって経典を体得したことによる理解であると思われます。
 

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