仏のことばを読む六. 般若心経 その10
しかし、観世音菩薩の信仰を最もよく表している『観音経(かんのんぎょう)』【『法華経(ほけきょう)』の一部】における観世音菩薩の働きと、『般若心経』での観自在菩薩の働きはまったく違います。『観音経』では衆生の災厄(さいやく)を除き、願いを叶える菩薩として説かれます。しかし、ここではそのようなことは説かれず、ただひたすらに五蘊(ごうん)からはじまり、すべてのダルマ【法】を観察し、仏陀の真実を探求する菩薩です。ただ一箇所だけ災厄から衆生を救うことを意味する「度一切苦厄」が説かれています。しかし、これも梵語の原典には見いだせません。これは中国で漢訳の際に付け加え、観世音菩薩のイメージを『般若心経』に組み込んだものと推測できます。
いずれにせよ、観自在菩薩は瞑想において仏陀の真実に向かうために釈尊の説かれたダルマ【法】を徹底的に分析する般若という智慧を最大限に発揮する菩薩です。
行深般若被羅蜜多時については、梵語と漢訳では理解が違うようです。梵語では「深遠な智慧の完成に向かって」と読めますが、漢訳では「深般若波羅蜜多」を行(ぎょう)じると理解されます。般若波羅蜜多は「智慧の完成」という意味で、仏陀の最高の智慧をいいます。そして、その智慧はきわめて深い体験の境地であるので深般若波羅蜜多といいます。漢訳ではそのような仏陀の境地を行じるということになります。しかし、ここでは梵語のように仏陀の境地に向かって修行を行っている菩薩と理解するほうが妥当であるように思われます。その修行の過程で、以下のように空であることを鋭く見抜いたということが、経典の冒頭の趣旨であると思われます。